佐伯米子

没年月日:1972/11/13
分野:, (洋)

 二紀会理事、故佐伯祐三夫人の佐伯米子は、11月13日午後1時50分、ガン性腹膜炎のため東京・渋谷区山王病院で死去した。享年69才。佐伯米子は、明治36年(1903)7月7日、東京・銀座の象牙貿易商、池田嘉吉の二女として生まれ、虎の門東京女学館を卒業、はじめ川合玉堂について日本画を学んだ。大正10年(1921)5月21日、当時まだ東京美術学校の学生であった佐伯祐三と結婚、翌11年長女彌智子出生、大正12年祐三は美術学校を卒業、この年11月、祐三、彌智子とともに渡欧の船旅につき、大正13年(1924)1月パリ着、大正14年(1925)年12月まで滞在した。その間、夫祐三とともヴラマンクに師事し、大正14年(1925)年のサロン・ドートンヌに「アルルの跳ね橋」が入選した。大正15年(1926)2月、イタリアから帰国の途につき3月帰国した。同年13回二科会展に5点が入選、以後、滞欧期間にも続けて出品入選している。昭和2年(1927)9月、朝鮮をへてシベリア鉄道経由で再渡欧し、フランスに滞在したが、翌昭和3年(1928)8月16日、夫祐三はヌイイ・シュル・マルヌのエヴラール病院で死去し、同月30月には彌智子もグランゾム病院で病没、同年傷心のうちに帰国した。戦前は昭和15年(1940)27回展まで二科会展に出品し、戦後は、二紀会の同人となり、昭和24年(1949)二紀会理事、昭和42年21回二紀展で文部大臣奨励賞を受賞した。
作品略年譜
二科会展:大正15年(1926)13回展「花」「土鏑のある静物」「辞書のある静物」「シャルボン」「パンのある静物」、昭和2年14回展「室内」「静物」、同3年15回展「洗濯物」「家」、同4年16回展「パンテオンの横」「巴里の台所」「暖爐の傍」「静物」、同5年17回展「ノアール」「キューブ」、同6年18回展「時計の下」「スチーム・ハンマー」、同7年19回展「ヴァヴドマシン」「鍛冶」「スヰフト」、同8年20回展「フレクション・プレス」、同9年21回展「路」、同10年22回展「はりがね」、同11年23回展「村落」、同12年24回展「高原の家」、同13年25展「緑蔭」、同14年26回展「夕映え」、同15年27回展「湖を見るホテル」
二紀展:昭和23年2回展「アルルの街」「白壁の家」「静物」、同24年3回展「秋菜」「歌い手の住む」「ヴァンディの家々」、同25年4回展「雁来紅」「カンナ」「村への道」「鐘樓」「ヴェニス」、同26年5回展「爐辺」「秋冷」「回想」「愉楽」、同27年6回展「アンチーブ・テラス」「パリ20区」「ケルメス祭の前夜」「山のホテルA」「ガチェル村(ニース)」「スイスの村B」「山のホテル」、同28年7回展 「ニースの村」「静物」「バラ」「ダリヤ」「静物」、同29年8回展「高原の花1」「高原の花2」「静物1」「アンチーブの城壁」「静物2」、同30年9回展「夜の花束」「秋草」「アンゼリューム」、同31年10回展「秋果」「秋香」、同32年11回展「ラントレ」「マンヂュシャゲ」「白い花」、同33年12回展「美人礁」「静物1」「静物2」、同34年13回展「花」「花」、同35年14回展「五月の静物」「森の秋」「花」、同36年15回展「山楽」「花」「高原の庭」、同38年16回展「或る日の記憶」「秋草」「静物」、同38年17回展「野の花」「静物(バナナのある)」「静物」、同39年18回展「菊」「内玄関」、同40年19回展「くちなし」「山の花」、同41年20回展「山百合」「花叢」、同42年21回展「かのこゆり」「海浜の室内プール」、同43年22回展「花の店」「ひまわり」、同44年23回展「日向」「海浜プール」、同45年24回展「花」「海浜室内プール」、同46年25回展「雑草の花」「時計台の見える石段」

出 典:『日本美術年鑑』昭和48年版(88-89頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「佐伯米子」が含まれます。
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