中野四郎

没年月日:1968/02/13
分野:, (彫)

彫刻家、創型会代表の中野四郎は、2月13日午後10時45分、狭心症のため浦和市の自宅で死去した。享年66歳。告別式は18日、同市常盤6-1のカトリック浦和教会で行なわれた。明治34年11月15日、山口県下関市の漢学者の家に生まれた。大正12年東京美術学校彫刻科本科木彫部に入学、特待生に選定され、昭和3年3月同校を卒業、卒業製作「春陽」が学校買上げとなった。卒業の年の秋から帝展、文展に10数回入選、昭和16年以降、文展無鑑査となって官展系の中堅作家として嘱望された。一方、昭和2年より6年までの同窓卒業生の有志が集まって木彫の研究団体、九元社を8年に結成し、その中心的メンバーとして毎年同展に作品を発表した。26年10月、戦時中解散した九元会の会員有志と計って創型会を結成、翌年創立第1回展を東京都美術館彫刻室で開催して以来、毎年美術界唯一の特色ある彫刻単一公募団体展を開き、彫刻の一般社会生活との協和普及をはかり新人作家の養成指導につとめてきたが、彼は最初から事務所を自宅に置き(15回展まで)、率先その代表者となって、会の基礎づくりと育成に偉大な貢献をなしたことは特筆に価する。晩期の作風は、終始写実的態度を堅持しながら、主にセメントを駆使してバロック風の力強く堅実な造型に特色を示した。26年4月より没前まで国立埼玉大学教育学部美術科に講師として彫塑を教授、38年4月から42年2月まで星美短大教授を兼ねた。
 主要作品年譜
昭和18年 「白衣の天使」日本赤十字本社蔵。
昭和19年 「バーモー長官像」ビルマ政府。
昭和22年 東京駅貴賓室に裸女立像、およびR・T・Oの共同製作。
昭和24年 「高山右近」ローマ、ヴァチカン美術館蔵。
昭和27年 「トルソー」(平凡社・世界美術全集に収載)
昭和30年 「薫園」(4回創型会展)
昭和35年 「掛けた女」埼玉県立公園(別所沼)に設置。
昭和38年 「潮風」上野公園に設置。
昭和39年 浦和市慰霊塔建設。
昭和41年 埼玉国体記念バッジ製作および上尾陸上競技場に同作品拡大せるレリーフ設置。
昭和42年 「せせらぎ」「勝利」「髪」「薫園」「1959年」他2点、上尾東邦株式会社庭園に設置。

出 典:『日本美術年鑑』昭和44年版(60頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「中野四郎」『日本美術年鑑』昭和44年版(60頁)
例)「中野四郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9045.html(閲覧日 2024-04-27)

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