中川為延

没年月日:1967/11/22
分野:, (彫)

 彫刻家、二紀会理事の中川為延は、11月22日午前9時17分、脳出血による心臓衰弱のため死去した。享年63才。明治37年6月1日広島市に生れ、昭和5年3月東京美術学校彫刻選科塑造部を卒業、同8年同校研究科を修業した。在学中の昭和4年第10回帝展に「ポーズせる女」が初人選してより、「銀河の下」(昭5・第11回帝展)、「残夢」(第12回帝展)、「実る秋」(第13回帝展)、「想」(昭9・第15回)と帝展に出品をつづけ、昭和11年の文展<鑑査展>には「徒然」、「白衣の凱旋」(昭13・第2回文展)、「海を護る男」(昭16・第4回文展)、「建設譜」(昭17・第5回文展)、「坑内敢闘」(昭19・戦時特別展)を、更に戦後に及んで、昭和21年第2回日展に「博愛紀念館新生日本ノ一部」、「回春」(昭23・第4回日展)、「影」(昭24・第5回日展)、「洋」(昭25・第6回日展)と官展系有数の中堅作家として認められたが、昭和27年二紀会彫刻部創設に当り委員として迎えられた。以後毎年同会展に作品発表をつづけるはもとより、彫刻部の基礎づくりと発展に尽力した。没前、昭和42年4月、二紀会が社団法人となるにおよび理事に推された。はやくよりセメント彫刻を手がけ、殊に戦後昭和25年より小野田セメント株式会社がスポンサーとなって開催している野外彫刻展(白色セメント造形美術会)の委員となって、当素材彫刻の推進普及に寄与したことは特筆される。前記の官展出品時代の主題においても窺われる通り、終始人体の写実主義の領域にありながら、様式化の強い一種の理想主義的作風を示した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和43年版(151-152頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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