鈴木栄二郎

没年月日:1954/05/27
分野:, (洋)

 光風会々員鈴大栄二郎は、交通事故のため急逝した。享年44歳。明治43年5月29日東京浅草に生まれ、京華中学校卒業後、川端画学校に学んだ。はじめ光風会に出品して認められ、のち官展に出品、昭和11年文展新人展の「草丘」は特選となつた。同12年以来日華事変、太平洋戦争に従軍した。同19年同志と武蔵野会を結成し、同22年新樹会の創立に加わつて会員となり、日展、光風会、新樹会等に溌刺たる風景画を発表して将来を嘱目されていた。
略年譜
明治43年 東京市浅草区に生る。
昭和3年 京華中学校卒業、川端画学校に学ぶ。
昭和6年 第18回光風会展に「松戸附近」ほか2点初入選、光風賞を受く。
昭和7年 第19回光風会展に「樹間風景」ほか3点入選、光風賞を受く。
昭和8年 第20回光風会展に「裸樹群立」ほか3点入選F氏奨励賞を受く、光風会々友に推薦され以後毎回出品を続ける。
昭和9年 第15回帝展に「市川早春」初入選す。
昭和10年 第二部会展に「奥利根の春」入選す。
昭和11年 文展鑑査展に「草丘」を出品、選奨を受く。
昭和12年 光風会々員、日本水彩画会々員に推さる。第1回文展に「渚」入選す。11月従軍画家として中支に出征す。
昭和13年 中支派遣軍の従軍画家として中支、蘇州、杭州、南京へ赴く。
昭和14年 北支に旅行、太原、北京等を巡歴、第3回文展に「雪中猟人」入選す。
昭和15年 紀元二六〇〇年奉祝展に興亜院の依嘱を受け「北京街頭防疫班」を出品、昭和洋画奨励賞を受く。
昭和16年 3月台湾へ写生旅行、第4回文展に「狩猟家」入選す、11月徴用され、比島派遣軍報道班員として比島へ渡る。
昭和17年 10月比島より帰還、第5回文展に「雨後のマニラ城内」入選す。
昭和18年 第6回文展に「バランガ戦跡」入選す、文展無鑑査に推薦さる。
昭和19年 3月武蔵野会を同志と起す、5月応召し、武漢地区岳州方面に赴く。
昭和20年 戦災のため池袋のアトリエ焼失し、全作品を失う。
昭和21年 5月復員す、第2回日展に「ふるさとの家」出品(政府買上)、特選を受く。
昭和22年 第3回日展、無鑑査「立秋」出品、同志と新樹会を創立す。
昭和23年 日展第二科へ出品を依嘱され、第4回日展に「夕月」出品。
昭和24年 日本山岳画協会会員に推さる、第5回日展に「緑の工房」出品。
昭和25年 第6回日展に「奥多摩」出品。
昭和26年 第7回日展に「街道筋の秋」出品。
昭和27年 国際観光美術協会会員に推さる、9月個展を光風会美術会館にて開催す、第8回日展に「信州金沢村の秋」出品。
昭和28年 第9回日展に「佐渡の寺にて」出品。
昭和29年 4月第40回光風会展に「アタミ山手」「アタミ全望」「マナヅルの家並」を出品、光風相互賞を受く。5月27日交通事故にて急死す。

出 典:『日本美術年鑑』昭和30年版(175-176頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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