三宅凰白

没年月日:1957/02/26
分野:, (日)

 日本画家三宅凰白、旧号呉月、本名清一は2月26日急性肺炎のため京都市中京区の自宅で逝去した。享年65歳。明治26年5月2日京都に生れた。大正4年京都市立絵画専門学校を卒業、大正15年以来山元春挙に師事した。大正7年第12回文展に初入選以来、文、帝展に出品を続け、昭和5年の第11回帝展で「花旦」が特選となつた。戦後は日展に出品依嘱者として作品を発表、第7回日展「薪能」などがある。昭和11年から24年まで京都市立絵画専門学校助教授、25年以後は光華女子大講師の教職にあつた。この間、昭和14年絵画専門学校より派遣されて中国美術を視察、また、師山元春挙没後はその塾早苗会幹事として、更に同会解散後は同志と耕人社を結成し理事をつとめていた。
略年譜
明治26年 5月2日京都に生れた。父は呉暁。
大正4年 京都市立絵画専門学校卒業。
大正7年 第12回文展「演習所見、斥候・行軍」(対幅)初入選。この頃呉月と号す。
大正14年 第6回帝展「おはらめ」凰白と改号。
大正15年 山元春挙に師事、早苗会々員となる。第7回帝展「錦繍装」。
昭和5年 第11回帝展「花旦」特選、官展には殆ど毎年出品、入選となる。
昭和9年 第15回帝展「浄心」。京都市展「秋林小景」京都市買上。
昭和10年 京都市展「ゆく春」受賞。
昭和11年 京都市立絵画専門学校助教授となる。
昭和12年 第1回文展「雪合戦」この年から文展無鑑査待遇となる。
昭和14年 北支、満州に約1カ月美術視察。
昭和15年 紀元二六〇〇年奉祝展「楽土」。
昭和16年 第4回文展「暮笛」。
昭和18年 早苗会解散、耕人社創立、理事となる。
昭和24年 京都市立絵画専門学校退職。
昭和25年 第6回日展「くさむら」出品依嘱、光華女子大学講師となる。
昭和26年 第7回日展「薪能」出品依嘱。
昭和32年 2月26日没。

出 典:『日本美術年鑑』昭和33年版(162頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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