堆朱楊成

没年月日:1952/11/03
分野:, (工,漆)

 日本芸術院会員、日展審査員堆朱楊成は11月3日東京都北区の自宅で狭心症のため死去した。享年72歳、明治13年8月第十八代楊成堆朱平十郎の二男として東京根岸に生る。幼名を豊五郎と云い、★漆と彫技を家兄好三郎に学び、絵画を佐竹永湖に、又彫技を石川光明に学んだ。明治29年兄好三郎死去により、本家を相続して第二十代の楊成を襲名伝統芸術としての彫漆を継承した。明治40年はじめて東京府勧業博覧会へ彫漆香合3点を出品して2等賞を受領し、宮内省御用品となつた。大正10年農商務省第9回工芸展にて1等賞を得、昭和3年には東京府主催東京工芸博覧会に審査員を嘱託され、爾後毎年これに従事した。また同年わが国工芸美術の発達に寄与せし理由により民間功労者として緑綬褒章をさずけらる。昭和2年帝展に第四部加設されてより連年出品、昭和4年第10回帝展において無鑑査、同8年14回に審査員となり、其後逝去する年まで出品をつづけ屡々審査員をつとめた。昭和25年日本芸術院会員となる。漆芸作家大同会会長、東京都美術館顧問、日本美術協会理事等をつとめていた。
略年譜
明治13年 8月東京根岸に生る。
明治29年 第二〇代堆朱楊成を襲名。
明治40年 東京府勧業博覧会へ彫漆香合3点出品、2等賞受領、宮内省御用品となる。
大正10年 農商務省第9回工芸展にて1等賞受領。
昭和2年 第8回帝展「秋★」(彫漆香合)出品。
昭和3年 我国工芸美術の発達に寄与せし理由により緑綬褒章を受く。東京府主催、東京工芸展覧会審査員となる。
昭和4年 第10回帝展「天狐彫漆香盆」出品。無鑑査となる。
昭和5年 第11回帝展「彫漆梟の図香盆」出品。
昭和6年 第12回帝展「白龍存星軸盆」出品。
昭和7年 第13回帝展「蓬莱山彫漆丸卓」出品。
昭和8年 第14回帝展「彫漆孔雀」出品。審査員となる。
昭和9年 第15回帝展「彫漆松竹梅香合」出品。
昭和11年 改組第1回帝展「彫漆蓬莱山図手筥」出品。審査員となる。
昭和12年 第1回文展「彫漆鶉文平卓」出品。審査員となる。
昭和13年 第2回文展「彫漆獅子文飾筥」出品。審査員となる。
昭和14年 第3回文展「堆黄龍文飾盆」無鑑査出品。
昭和15年 紀元二千六百年奉祝美術展「春日龍神彫漆飾筥」無鑑査出品。
昭和17年 第5回文展「彫漆山吹硯箱」無鑑査出品。
昭和19年 戦時特別展「彫木研屏苔むす巌」出品。
昭和21年 第2回日展「彫漆花の山文庫」出品。
昭和24年 第5回日展「彫漆獅子硯箱」を日展運営会依頼により出品。日本芸術院会員となる。
昭和25年 第6回日展「漆器存星秋草円卓」出品。日展参事及び審査員となる。
昭和26年 第7回日展「彫漆花瓶(平和)」出品。
昭和27年 第8回日展「巻狩彫漆手筥(未完成)」出品審査員となる。11月3日逝去。

出 典:『日本美術年鑑』昭和28年版(140頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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