山田正亮

没年月日:2010/07/18
分野:, (洋)

 画家の山田正亮は7月18日、胆管癌のため死去した。享年81。1929(昭和4)年1月1日、東京に生まれる。本名正昭。43年、陸軍兵器行政本部製図手養成所に入所。44年、同養成所助教となり、同年創立の都立機械高等工業学校第二本科機械科に入学。翌年終戦にともない陸軍兵器行政本部を退職。50年、東京都立工業高等専門学校卒業。53年に、長谷川三郎に師事。この頃より、東京京橋にあったGKスタジオに勤務、主にデザインの仕事に従事。出品歴としては、49年2月の第1回日本アンデパンダン展に出品、52年、2月第4回日本アンデパンダン展、同年10月、第16回自由美術展に出品。58年11月、教文館画廊(東京)で初個展開催。64年、東京の上北沢にアトリエを設ける。初期から1950年代には、セザンヌ、キュビスムを意識した静物画を中心に制作がつづけられた。50年代中ごろにモンドリアンを想起させるように抽象化がすすめられ、そのなかで1956年より「Work」のシリーズがはじまった。ジョーゼフ・アルバース、フランク・ステラの表現にも似た、画面に規則的な矩形の色面が占める作品を経て、ストライプに覆われた画面に到達した。ストライプの絵画作品は、ある規則性に添ったものではなく、抑制された色彩の選択と画面全体の均一性を志向しながらも、色彩の帯は、微妙に揺れ、また絵の具の滴り、厚み等、きわめて感覚的で繊細な表情をつくりあげていた。ミニマルアート以後の絵画表現として、早くから一部の識者から注目されていた。81年、「1960年代―現代美術の転換期」展(東京国立近代美術館、京都国立近代美術館)に出品。80年代に入り、60年代のストライプの絵画作品の評価が高まり、あわせて79年以降、毎年(97年まで)開催された個展(佐谷画廊)等において発表される新作は高い評価を受けるようになった。また公立美術館等における戦後美術、もしくは現代絵画の企画展にしばしば出品を要請されるようになり、日本の現代絵画を語る際に、山田の作品は重要な位置を占めるようになった。同時期の作品は、青緑色の大画面のなかの引かれたグリッドをベースにして、グリッドの直線に添いつつ、捕らわれることのない柔軟な線と鮮やかな色彩が覆う構成がとられていた。87年、第19回サンパウロ・ビエンナーレに出品。90年、『山田正亮作品集 WORKS』(美術出版社)を刊行。95年に、およそ40年間にわたってつづけられた「Work」のシリーズを終えた。その後、2001年に「Color」の連作を発表した。このシリーズの作品は、単一の色彩が画面を覆っているが、画面の端に表面下に塗られた別の色相をのぞかせることで画面の重層性を示し、絵画が薄い表面ではなく、ただならぬ平面であることを観る者に感じさせるものであった。2005年6月、府中市美術館にて「山田正亮の絵画 〈静物〉から〈Work〉―そして〈Color〉へ」展開催、初期の静物画からストライプの絵画作品、さらに最新作として「Color」シリーズ、139点からなる個展が開催された。山田は、一切の組織、運動に与することなく、また世界の流行に流されることなく、自律的な思考を深めながら、現代の日本絵画の可能性を示すことができた美術家であった。

出 典:『日本美術年鑑』平成23年版(440-441頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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