大島清次

没年月日:2006/11/23
分野:, (評)
読み:おおしませいじ

 栃木県立美術館、世田谷美術館の館長を歴任した、美術評論家、美術史研究者であった大島清次は、11月23日、肺炎のため栃木県下野市の病院で死去した。享年82。1924(大正13)年11月13日、栃木県宇都宮市に生まれる。1951(昭和26)年に早稲田大学文学部を卒業。その後、栃木県立高等学校教諭、法政大学文学部講師となり、栃木県立美術館の副館長、館長となった。86年に世田谷美術館の館長となり、2003(平成15)年3月31日まで同館長を務めた。その間、多数の西洋近代美術を中心にした翻訳、著述、評論活動があり、80年に刊行した『ジャポニスム:印象派と浮世絵の周辺』(美術公論社)は、今日までのジャポニスム研究にあって先駆的で本格的な研究業績であった。また、美術評論家連盟の常任委員を務め、82年には全国の公立美術館35館と読売新聞社、日本テレビ放送網が参加した美術館連絡協議会設立に尽力した(現在、同連絡協議会には124館が加盟している)。美術館長時代には、国内美術館の問題点を現場から指摘し、その改善策を積極的に提言した。美術館人としての一連の発言は、後に『美術館とは何か』(青英舎、1995年)にまとめられた。さらに美術館問題に端を発したこうした提言は、同書の続編として刊行された『「私」の問題:人間的とは何か』(青英舎、2001年)でもつづけられており、文化史、文明史的な視点から人間、美術、自然、経済活動にわたるまで、ひろく論じられ思索が深められていったことがわかる。上記の著作以外に主な翻訳、著作書は、刊行年順にあげると下記の通りである。

翻訳ジャン・ヴェルクテール著『古代エジプト』(白水社、1960年)
翻訳フランソワ・フォスカ著『美術名著選書 文学者と美術批評:ディドロからヴァレリーへ』(美術出版社、1962年)
翻訳ピエール・フランカステル著『絵画と社会』(岩崎美術社、1968年)
解題『双書・美術の泉 ロートレックのデッサン』(岩崎美術社、1970年)
『ドガ』(岩崎美術社、1970年)
編集『日本の名画12 青木繁』(中央公論社、1975年)
共著『世界の名画3 アングルとドラクロワ:新古典派とロマン派』(中央公論社、1972年)
編著『世界の素描19 ミレー』(講談社、1978年)
翻訳サミュエル・ビング編『芸術の日本:1888~1891』(美術公論社、1981年)
編集・解説『25人の画家:現代世界美術全集6 マネ』(講談社、1981年)
翻訳アンドレー・ケイガン著『モダン・マスターズ・シリーズ マルク・シャガール』(美術出版社、1990年)
翻訳ロベール・レー著『BSSギャラリー 世界の巨匠 ドーミエ』(美術出版社、1991年)
翻訳フレデリク・ハート著『BSSギャラリー 世界の巨匠 ミケランジェロ』(美術出版社、1992年)

出 典:『日本美術年鑑』平成19年版(380-381頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2024年02月07日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「大島清次」『日本美術年鑑』平成19年版(380-381頁)
例)「大島清次 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28381.html(閲覧日 2024-03-29)

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