飯塚小玕斎

没年月日:2004/09/04
分野:, (工)

 人間国宝(重要無形文化財保持者)の飯塚小玕斎は、9月4日、肺炎のため死去した。享年85。1919(大正8)年5月6日、東京市本郷区(現・東京都文京区)に、飯塚琅玕斎の次男として生まれる。本名・成年。1942(昭和17)年東京美術学校油画科を卒業し入隊、出征する。46年疎開先の栃木市に復員し、栃木市立高等女学校で講師を約10年間勤める。その後帰京し、81年群馬県太田市に転居した。復員後に、近代竹工芸の確立に重要な役割を担い工芸界の重鎮であった父琅玕斎の厳しい指導を受けて修業し、飯塚家の伝統のわざはもとより琅玕斎の格調を重んじる制作を学んだ。1947年第3回日展初入選。翌年の第4回日展に成年子と号して出品し、50年亡き兄が号した小玕斎を受け継いだ。53年第9回日展で北斗賞を受賞し、翌年第10回展で特選、60年第3回新日展で菊華賞を受賞、伝統技法による花籃等の制作に加え壁面の制作に挑むなど気鋭の竹工芸家として活躍した。62年日展会員。74年第17回日本伝統工芸展へ出品して以降同展を中心に活動し、第17回展文部大臣賞、翌75年第18回展で朝日新聞社賞と受賞を重ねた。その後、鑑審査委員をたびたびつとめ、理事や木竹部会長を長く勤めた。81年紫綬褒章、89年勲4等旭日小綬章を受章。琅玕斎から継承した伝統のわざを現代的な感性で洗練させ、精緻精細な竹刺し編みや束ね編み等による芸術の格調を基調とする制作を主として独自の力強い荒い編組作品の創作なども繰り広げ、今日の伝統的な竹工芸の基盤を形成した。79年から82年にかけて正倉院宝物の竹工芸品の調査研究に努め、自らの創作の世界を広げた。82年重要無形文化財「竹工芸」保持者の認定を受け、以降日本伝統工芸展を中心に後進の指導に積極的に努め、その普及と発展に尽力した。

出 典:『日本美術年鑑』平成17年版(354-355頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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