長谷川青澄

没年月日:2004/07/23
分野:, (日)

 日本画家の長谷川青澄は7月23日午後11時15分、心不全のため大阪府吹田市の病院で死去した。享年87。1916(大正5)年9月25日、長野県下水内郡飯山町(現、飯山市)に生まれる。本名義治。飯山中学(現、飯山北高等学校)在学中に日本画家菊池契月の兄、細野順耳に日本画の手ほどきを受ける。1933(昭和8)年一家上京のため飯山中学を中退、翌年吉村忠夫に入門し大和絵を学ぶ。44年郷里に疎開し、戦後長野県展に出品し47年には信毎賞、48年には県展賞を受賞。51年に大阪へ転住し、翌年には美人画家中村貞以に師事、画塾春泥会で研鑽を積む。53年第38回院展に「庭」が初入選、以後毎年院展に入選を続けた。59年第44回院展で「羊飼」が奨励賞次点となり、60年第45回「小鳥の店」が奨励賞、62年第47回「寂」が日本美術院次賞を受賞。60年代末から日本の古典芸能に造詣を深めて能や狂言、舞踊などを好んでテーマとするようになり、69年第54回「京舞花の旅」、73年第58回「朝顔話」、75年第60回「日想観(弱法師)」、77年第62回「狂言」、78年第63回「狂言」、79年第64回「京を舞う」、81年第66回「皎」、82年第67回「京を舞う」が、いずれも奨励賞を受賞し、82年日本美術院同人に推挙された。同年には師中村貞以の逝去により春泥会を引き継ぎ、師の七回忌後は画塾含翠として継承、師より受けついだ大阪での日本美術院の伝統を守り続けた。1989(平成元)年日本美術院評議員となる。90年第75回院展には石山寺に籠り、源氏物語を執筆する紫式部を描いた「月〈石山〉」で内閣総理大臣賞を受賞。92年郷里の飯山市公民館において作品展、同年から翌年にかけて日本橋と大阪の三越で回顧展を開催。94年には第79回院展に「足柄の山姥」を出品し、文部大臣賞を受賞。99年には東大阪市民美術センターで「長谷川青澄展―その純なる魂の軌跡」が開催されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成17年版(353頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
to page top