石岡瑛子

没年月日:2012/01/21
分野:, (デ)

 デザイナー、アートディレクターとして国内、ならびにアメリカを中心に多彩な活動をした石岡瑛子は、1月21日膵臓がんのため東京都内の病院で死去した。享年73。
 1938(昭和13)年7月12日、東京都に生まれる。61年3月、東京藝術大学美術学部工芸科図案部卒業。資生堂に入社後、同社サマーキャンペーン「太陽に愛されよう」(1966年)等、担当したポスターがつぎつぎと注目を集め、65年には日本宣伝美術会(略称:JACC、通称:日宣美)主催の第15回公募展にて、「シンポジウム:現代の発見」ポスター3点により「日宣美賞」受賞。70年に石岡瑛子デザイン事務所を設立、フリーランスのデザイナーとして活動の幅を広げた。PARCOや角川書店の広告等を担当し、75年にPARCOの一連の広告デザインにより第21回毎日デザイン賞受賞。79年に制作された「西洋は東洋を着こなせるか」(PARCO)などのコピーとともに、無国籍的な鮮烈なイメージのポスターは、メッセージとともに高度成長期の日本において社会的な注目をあつめた。80年代以降、活動の場をアメリカ等の海外にひろげ、85年アメリカ等で公開されたポール・シュレーダー監督の映画「MISHIMA」の美術監督をつとめ、これによって同年第38回カンヌ国際映画祭芸術貢献賞受賞。87年、マイルス・デービスのアルバム『TUTU』のアート・ワークでグラミー賞受賞。88年、ブロードウェイのミュージカル『M.バタフライ』の舞台セットと衣装の部門で、トミー賞にノミネートされた。写真集『ヌバ』を契機に、第二次世界大戦をはさんでドイツの女優、映画監督、写真家として活動していたレニー・リーフェンシュタールに直接取材をかさね、プロデューサーとして企画構成にあたり、1991(平成3)年12月にレニー・リーフェンシュタール展(Bunkamura ザ・ミュージアム)を開催。92年に公開されたフランシス・フォード・コッポラ監督の映画「ドラキュラ」では、監督からの要望でコスチュームデザインを担当、これによって第65回アカデミー賞衣装デザイン賞を受賞。その後も、映画、ミュージカル、オペラ、ミュージック・ビデオ等において舞台美術、コスチュームデザインなどを担当して多岐にわたり効果的で斬新な視覚表現に取り組んだ。2002年、紫綬褒章受章。05年6月、東京藝術大学美術学部先端芸術表現科の教授として後進の教育にあたった(翌年3月まで)。08年、北京オリンピックの開会式では衣装デザインを担当した。
 グラフィックデザインからはじめた石岡の仕事は、つねに時代の先端を意識しながら、近未来的な志向と東西両洋にわたる時間と空間の間を縦横に横断する柔軟な感性に裏づけられたもので、その感性からうまれたアイデアを卓抜した企画構成力によって実現してきたからこそ、国を越えて多くの人に新鮮な驚きと共感を呼び、世界的にも高く評価された。なお作品集には、国内において『石岡瑛子 風姿花伝』(求龍堂、1983年)、『EIKO ISHIOKA』(世界のグラフィックデザイン68、公益財団法人DNP文化振興財団、2005年)等があり、またそれぞれの大きなプロジェクトにあたっての回想的な文集に、『私デザイン』(講談社、2005年)がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成25年版(407頁)
登録日:2015年12月14日
更新日:2016年08月09日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「石岡瑛子」が含まれます。
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