立石大河亞

没年月日:1998/04/17
分野:, (美)

 美術家の立石大河亞は4月17日午後7時40分、肺がんによる心不全のため死去した。享年56。昭和16(1941)年12月20日、福岡県伊田町(現・田川市)に生まれる。本名紘一。少年期を筑豊の炭坑地域で過ごした後、同36年に上京、武蔵野美術大学短期大学芸能デザイン科に入学する。同38年第15回読売アンデパンダン展に玩具や流木を貼りつけたレリーフ的作品「共同社会」を出品、針生一郎ら評論家の絶大な支持を集める。同年武蔵野美術短期大学芸能デザイン科を卒業、次回の読売アンデパンダン展にネオン絵画「富士山」を出品すべく品川のネオン会社に翌年まで勤務、エアーブラシの技法を身につける。同39年東野芳明の企画による南画廊での「ヤング・セブン展」、および初個展の「積算文明展」で旭日旗のイメージをとりこみつつ立体的ロゴ等の広告的表現による作品を発表し、日本ポップ・アートの嚆矢としてさらなる注目を浴びる。またこの年、中村宏と観光芸術研究所を設立し、多摩川川原で旗揚げ展を開催、以後富士山や漫画のキャラクターといった大衆的なイメージを引用した作品を制作する。観光芸術研究所は同41年にその活動を止め自然解散となるが、その前後から漫画を雑誌に発表しはじめ、同43年からはタイガー立石のペンネームを使用するようになる。同44年渡伊し、ミラノに滞在し欧米各地で個展を開催、同46年~49年にはオリベッティ社のエットレ・ソットサス工業デザイン研究所に嘱託として在籍しイラストレーション等を手がける。またミラノ滞在中の同44年頃から漫画の如く分割された画面をもつ「コマ割り絵画」を描き始める。同57年帰国、その後も油彩画、掛軸、屏風、陶土のオブジェなど表現を多様に変化させながら作品を造り続ける。平成2(1990)年の市原での個展以後、立石大河亞の名を使用。同4年アルティウムで多次元パノラマ絵巻展、同6年郷里田川市美術館で「立石大河亞1963―1993展 筑豊・ミラノ・東京、そして…」を開催。没後の同11年には田川市美術館で「立石大河亞展 THE ENDLESS TIGER」、O美術館で「メタモルフォーゼ・タイガー 立石大河亞と迷宮を歩く」展が開催された。

出 典:『日本美術年鑑』平成11年版(421-422頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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