菅野矢一

没年月日:1991/06/15
分野:, (洋)

 日本芸術院会員の洋画家菅野矢一は、6月15日午後零時12分、間質性肺炎のため東京都大田区の中島病院で死去した。享年84。明治40(1907)年1月19日、山形市に生まれる。本名彌一。山形商業学校を中退し、小学校代用教員、会社員を経て、画家を志して上京。川端絵画研究所に学び、昭和11(1936)年文展鑑査展に「黒牛」で初入選。同14年より安井曽太郎に師事する。翌15年第5回一水会展に初入選。以後同展に出品を続ける。戦後の同21年同展会員となる。同28年渡欧し、パリのグラン・ショーミエールに学び、ゴエルグ、クラヴェに師事して翌29年帰国。同年第16回一水会展に「赤いコート」など滞欧作を出品して同会会員優賞受賞。同30年第11回日展に「裸婦」を出品して特選、同35年第3回新日展に「海のみえる丘」を出品して再び特選となる。また、同37年第5回日展に「岬の夕」を出品して同展菊華賞を受け、同41年日展会員となった。同46年北極圏に取材旅行。同54年にはスペインへ赴き、同年第11回改組日展に「白い太陽」を出品して同展文部大臣賞受賞。同55年中国雲南省奥地を訪れる。同56年第13回改組日展への出品作「くるゝ蔵王」により同年度日本芸術院賞を受け、同61年日本芸術院会員となった。初期には人物画も描いたが、後に風景画を中心に制作するようになり、海や山など広大な自然を明快な色面でとらえた清新な画風を示した。晩年は「奥の細道」シリーズを手がけ、同60年及び平成元年に日本橋三越での個展で発表している。

日展出品歴
第1回(昭和21年春)「雪国」、2回(同年秋)「M子立つ」、4回(同23年)「雨の町」、6回(同25年)「婦人像」、7回「婦人像」、11回(同30年)「裸婦」(特選)、12回「赤いブラウス」、13回「冬山」、社団法人日展第1回(同33年)「夏山」、2回「山脈秋意」、3回「海のみへる丘」(特選)、4回「北国にて」、5回「岬の夕」(菊華賞)、6回「富士」、7回「雲と富士」、8回「樽前の野にて」、9回「教会の丘」、10回「蔵王残照」、11回(同43年)「大雪山」、改組第1回(同44年)「男鹿にて」、2回「石狩の野」、3回「白夜」、4回「蒼い岬」、5回「眺望」、6回「松島」、7回「平原にて」、8回「陽は昇る」、9回「陽はまた昇る」、10回(同53年)「平原」、11回「白い太陽」、12回「霧の岬」、13回「くるゝ蔵王」、14回「濕原にて」、15回「蔵王」、16回「雷鳴の浜」、17回「島の夕」、18回「月と山と」、19回「平原」、20回(同63年)「霧の峰」、21回「山峡の灯」

出 典:『日本美術年鑑』平成4年版(297-298頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2017年06月07日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「菅野矢一」が含まれます。
to page top