中原實

没年月日:1990/10/15
分野:, (洋)

 日本歯科大学名誉学長、日本歯科医師会名誉会長で、二科会名誉理事の洋画家でもあった中原實は、10月15日東京都板橋区の日本大学医学部付属板橋病院で死去した。享年97。大正末年から昭和初年にかけての新興美術運動の主要な推進者として知られる中原實は、明治26(1893)年2月4日、東京市・麹町区に生まれた。父の中原市五郎は日本歯科医学専門学校(現・日本歯科大学)の創設者。東京高等師範学校付属中学校を経て、大正4年日本歯科医学専門学校を卒業、同年同校助手となってハーバード大学歯科に編入学、同7年卒業後一時ニューヨークに勤務し渡仏、フランス陸軍歯科医となる。翌8年、パリのアカデミー・グラン・ショミエールに通い原勝四郎、青山熊治らと交遊する。この時期、未来派、表現派、ダダ、超現実主義などの美術運動に触れ啓発されるなかで、はじめパリでモディリアーニに傾倒、ついでベルリンでゲオルグ・グロッスに影響された。さらに、ドイツの新即物主義や超現実主義の手法を学び、抽象画へ接近していった。同12年帰国し母校の教授に就任、また、第10回二科展に「モジリアニの美しき家婦」「トレド」の2点を出品し注目されたが、開催初日に関東大震災に遭遇し展覧会は即日閉鎖された。同13年中川紀元らのアクション運動に参加、翌14年三科運動をおこし〈単位三科〉を設立、アンデパンダン展を組織するとともに、飯田橋・九段の自宅焼跡に「画廊九段」を設けて前術的活動を展開、絵画の理論闘争も開始し、美術雑誌「AS」に参加、美術雑誌「GE・GIMGIGAM・PRRR・GIMGEM」に寄稿する。画廊九段は、画壇の築地小劇場とも称され、「欧州新興美術展」(報知新聞社主催)などを催した。昭和元年、画廊九段を閉鎖、単位三科を再組織して表現主義や超現実主義をとり入れた演劇活動にのりだし、〈劇場の三科〉などを開催したが、同年中に単位三科を解散した。同4年第一美術協会の客員となる。同11年には北園克衛の「VOU」クラブに参加し、美術評論を発表した。その後、同18年には二科会絵画部会員となり、戦後は同会の復興に尽力、同34年の機構改革により二科会理事となった。同37年、最初の画集『中原實画集』(美術出版社)を刊行、同41年にも『Cemalde絵画・中原實画論集』(美術出版社)を出した。同59年、卒寿記念として〈中原實絵画記念行事〉を催し、東京セントラルアネックスで絵画展を開催、『中原實画集』(実業之日本社)を刊行、また、リトグラフ「猫の子」を出す。この間、日本歯科医師会会長を都合5期10年つとめたのをはじめ、日本私立大学協会会長、日本歯科医師会名誉会長、日本私立大学協会顧問などを歴任した。大正末年に未来派や超現実主義を先駆的に紹介した功績はきわめて大きい。作品は他に、「ヴィナスの誕生」(大正13年)、「乾坤」(昭和元年)、「魚の説」(同13年)、「自然の中性」(同22年)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』平成3年版(319頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「中原實」が含まれます。
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