霜鳥之彦

没年月日:1982/08/03
分野:, (洋)

 京都洋画壇の最長老で、浅井忠門下の唯一の生存者であった霜鳥之彦は、8月3日老衰のため京都市左京区の自宅で死去した。享年98。本名正三郎。明治17(1884)年3月2日東京市神田区に生まれ、東京府立第一中学校を卒業、この頃すでに浅井忠の図画教科書によって水彩画を独習しており、同35年京都高等工芸学校設立と浅井の教授就任を新聞で知り、京都に移って同校に入学、同38年同校図案科の第一期卒業生となる。在学中から水彩画をよくし同期の間部時雄と併称された。翌39年牧野克次について渡米、翌年にかけてNew York School of Fine and Applied Artsで油彩画と図案を学ぶ。同42年から大正9年までニューヨークのアメリカ自然史博物館に、海洋動物標本模型制作のための写生と色彩に関する技術員として就職。この間、National Academy of Designで夜間デッサンを学び、ニューヨーク水彩画クラブ及びアメリカ水彩画協会展に出品もする。大正9年帰国後京都高等工芸学校講師となり、翌年同校教授に就任、同年文部省留学生として絵画、図案学研究の目的で渡欧し、パリのグラン・ショミエールへ通い、同12年からシャルル・ゲランに師事する。帰国後、同19年に母校の教授を退官、戦後は同27年から33年まで京都学芸大学教授として教鞭をとった。京都府美術工芸功労者であり、同49年には勲三等瑞宝章を受けた。渡米前の水彩画として「出雲路橋」「農村風景(ハネツルベ)」(ともに明治38年)などがあるほか、渡米直後の油彩画に「ハドソン河畔」がある。他に「ロシアの女」(大正12年)、「魚売り」(昭和2年)など。

出 典:『日本美術年鑑』昭和58年版(281頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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