梶喜一

没年月日:1980/02/15
分野:, (日)

日本画家梶喜一は、2月15日胃腫瘍のため京都市左京区の根本外科病院で死去した。享年75。1904(明治37)年京都に生まれ、16歳で都路華香に師事して日本画を学ぶ一方、関西美術院洋画研究所にも通った。1924年京都絵画専門学校に入学し、27年に卒業、その後同校研究科に在籍し、35年に修了した。翌36年都路華香が没したため、西村五雲の画塾晨鳥社に移るが、37年の支那事変勃発とともに応召し、北支を転戦した。39年に帰還し、前年に没した五雲にかわって山口華楊がひきついだ晨鳥社に復帰する。40年の紀元二千六百年奉祝美術展覧会に「賀茂の堤」を出品し、41年には中国黄河決壊治水の状況を描いた大作「濁流を征く」を描いた。以後、文展・日展に出品を続け、53年第9回日展には「鯉」で白寿賞を受賞し、63年第6回日展「牡牛」で特選、67年第10回日展では「游影」を出品し再び特選・白寿賞を受けた。鯉の画をよくしたことで知られ、53年・67年の受賞はいずれも鯉を描いている。68年からは日展委嘱となり、78年に審査員をつとめた。79年には東京・京都の高島屋で個展を開いている。

出 典:『日本美術年鑑』昭和56年版(244頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「梶喜一」『日本美術年鑑』昭和56年版(244頁)
例)「梶喜一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10019.html(閲覧日 2024-04-26)

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