本データベースは東京文化財研究所刊行の『日本美術年鑑』に掲載された物故者記事を網羅したものです。 (記事総数 3,120 件)





香取秀真

没年月日:1954/01/31

帝室技芸員、日本芸術院会員でわが美術工芸界の長老香取秀真は、1月31日急性肺炎のため世田谷区の自宅で逝去した。本名は秀治郎、別号六斉、梅花翁。明治7年1月1日千葉県印旛郡に生れた。同30年東京美術学校鋳金科を卒業した。同36年以来昭和18年に至るまで母校に鋳金史、彫金史を講じ、同41年同志と東京鋳金会を創立して幹事となつたほか、諸博覧会の審査員、日本美術協会、東京彫工会、日本金工協会等の審査員、幹事となり、自らも多くの作品を発表した。大正8年農商務省工芸展覧会の審査員となり、その後帝展の工芸部設置に尽力し、昭和2年その審査員となり、同4年帝国美術院会員に挙げられ、同9年帝室技芸員を命ぜられた。また昭和2年以来帝室博物館学芸委員となり、同4年国宝保存会委員となるなどこの方面の功績も大きかつた。その作品は、その豊かな技術を駆使した古典的で品格高いものであつた。また金工家としてのほか、わが金工史の研究に前人未踏の分野を開拓し、学術的な著書も多く、さらに正岡子規門下の歌人としても著名であつた。同28年多年の功労によつて文化勲章を授げられた。略年譜明治7年 千葉県印旛郡に生る。父香取蔵之助秀晴、母たま。明治11年 印旛郡麻賀多神社祠官郡司家の養子となる(5歳)明治24年 東京に遊学す(18歳)明治25年 東京美術学校に入学す。同校に学ぶ傍大八洲学校に国史国文を学ぶ。明治30年 生家香取家へ復籍す。東京美術学校鋳金本科卒業。明治32年 正岡子規の門に入る。東京美術学校研究科に入学。明治36年 東京美術学校より鋳金史授業を嘱託せらる。明治37年 東京美術学校より彫金史授業兼務を命ぜらる。明治41年 同志と計り東京鋳金会を設立、幹事となる。明治42年 東京美術工芸展覧会評議員嘱託。明治43年 第2回東京府美術及美術工芸展覧会鑑別委員嘱託。明治44年 東京勧業展覧会審査委員嘱託。大正2年 東京勧業展覧会審査委員嘱託。大正3年 大正博覧会鑑査員嘱託。大正8年 農商務省工芸審査委員会委員被仰付。大正14年 同志と工芸済々会を創立。昭和2年 帝室博物館学芸委員被仰付。帝国美術展覧会委員被仰付。(この年より帝展に第四部設置)昭和3年 帝国美術院美術展覧会審査員被仰付。昭和4年 帝国美術院会員被仰付。国宝保存会委員被仰付。昭和5年 叙正7位。昭和8年 重要美術品等調査委員会委員を依嘱せらる。任東京美術学校教授、叙高等官4等東洋工芸史授業担任。叙正6位。昭和9年 東京美術学校より学科主任を命ぜらる。文庫課長を命ぜらる。帝室技芸員拝命。昭和10年 帝国芸術院会員被仰付。昭和11年 陞叙高等官3等、叙従5位、叙正5位。国宝保存会常務委員を命ぜらる。昭和18年 願により官を免ぜられ、東京美術学校教授の職を退く。昭和25年 文化財専門審議会専門委員となる。昭和28年 文化勲章を授与さる。昭和29年 宮中歌会始に召歌仰付らる。東京都世田ヶ谷区世田谷自宅に於て死去す。作品略年譜明治30年 東京美術学校卒業製作「上古婦人立像」 聖観音像(天岡均一合作)明治31年 日本美術協会展「獅子置物」(褒状1等)明治32年 日本美術協会展「作品」(褒状1等) 三嶋中洲翁銅像明治33年 巴里万国博覧会「作品」(銀賞牌)明治35年 東京彫工会青年研究会「古代鹿鈕万耳香炉」明治36年 橋本雅邦銀婚式祝賀贈呈品「銀印三個」明治37年 聖路易万国博覧会「鋳金銅印材」「鋳金銅硯」明治40年 東京勧業博覧会「鋳銅獅子香炉」(2等賞)明治42年 東京鋳金会展「朧銀鋳造花瓶」(妙技銀賞)大正2年 献上「菊花散ペン皿蝋製」大正3年 瑞獣置物(美術新報杜賞美賞)大正5年 東京鋳金会展「塗金唐草紋花瓶」(御買上)大正9年 農商務省第8回工芸展「亀鶴福寿文花瓶」大正11年 日仏交換展「獅子弄王水滴」 平和紀念東京博覧会「銀製春錦文釜」大正14年 朝鮮神社神鏡2面大正15年 一条家調度品「鉄瓶」昭和2年 第8回帝展「蝶鳥文八稜鏡」昭和3年 御成婚奉祝献上品「鋳金千鳥文花瓶」 第9回帝展「牡丹文鋳銅花瓶」昭和4年 第10回帝展「鹿鈕獅脚鋳銅香炉」昭和5年 第11回帝展「鋳銅牡丹透香炉」昭和6年 第12回帝展「雷文鋳銅花瓶」昭和7年 工芸三楽会展「象文尊式花瓶」昭和8年 第14回帝展「両耳★文花瓶」昭和9年 第15回帝展「台子飾」(合作)昭和11年 工芸済々会展「青銅獅子鈕水次」昭和12年 工芸済々会展「獅耳竜胆透香炉」 三聖代展「八角飾箱」昭和14年 第3回文展「月に兎釣香炉」昭和15年 紀元二六〇〇年奉祝展「鳴禽置物」昭和16年 第4回文展「鳳鈕香炉」(政府買上)昭和17年 第5回文展「唐銅★鈕香炉」昭和18年 第6回文展「★子透香炉」 松坂屋巨匠展「月兎香炉」昭和19年 戦時特別文展「鋳銅母と子獅子番炉」昭和21年 第2回日展「宝船香炉」昭和22年 東京都美術館記念展「金銅獅子」昭和23年 第4回日展「木兎香炉」 文部省巡回展「金銅笑獅子鈕香炉」昭和24年 同右「犬鹿四方香炉」 第5回日展「玉兎香炉」(貞明皇后へ献上)昭和25年 第6回日展「虎香炉」 文部省巡回展「鳩香炉」昭和26年 第7回日展「瑞禽飾三足香炉」昭和27年 第8回日展「騎獅弾琴菩薩香炉」昭和28年 第9回日展「みみづく香炉」著書目録日本古鏡図録 東京鋳金会刊 明治45年金銅仏写真集 東京鋳金会刊 大正元年続古京遺文(山田孝雄氏と共著) 宝文館刊 大正元年日本鋳工史稿(甲寅叢書第4編) 郷土研究杜刊 大正3年茶之湯釜図録 東京鋳金会刊 大正3年日本金燈籠年表 東京鋳金会刊 大正5年好古山陰迷求利(広瀬都巽、堀江清足両氏と共著) 東京鋳金会刊 大正9年熊野新宮手筥と桧扇(東京美術学校内) 工芸美術会刊 大正10年磬 工芸美術会刊 大正10年金鼓と鰐口 大正12年新撰釜師系譜 昭和5年仏具(錫杖)日本考古図録大成の内 日東書院刊 昭和6年支那の金工(大支那大系第10巻) 万里閣刊 昭和6年支那の金工について(啓明会講演集) 啓明会刊 昭和6年支那工芸図鑑第1冊金工篇 帝国工芸会刊 昭和7年日本金工史 雄山閣 昭和7年和鏡の話 美術懇話会刊 昭和7年新撰茶の湯釜図録 宝雲社刊 昭和8年「日本鋳工史」第1冊 郷土研究所 昭和9年水滴図解 政教社刊 昭和9年随筆「ふいご祭」 学芸書院 昭和10年鉄瓶図解 鉄瓶の会 昭和10年正岡子規を中心に 学芸書院 昭和11年歌集天の真榊 学芸書院 昭和11年和鏡図解 政教社 昭和13年中田の十一面観音金銅像 芸苑巡礼社刊 昭和14年大島如雲先生年譜 東京鋳金会刊 昭和16年金工史談 桜書房刊 昭和16年日本の鋳金(ふいごまつり、再版)現代叢書 三笠書房刊 昭和17年続金工史談 桜書房刊 昭和18年歌集還暦以後 科野雑記社刊 昭和22年鋳物師の話 講談社刊 昭和22年江戸鋳師名譜 (謄写版刷) 昭和27年

清水良雄

没年月日:1954/01/29

元帝展審査貴、光風会々員清水良雄は、1月29日広島県芦品郡で逝去した。享年63歳。明治24年東京に生れ、大正5年東京美術学校西洋画科を卒業した。同2年第7回文展の「調べの糸」をはじめ、連年文展に出品し、同6年第11回文展の「西片町の家」、同7年第12回文展の「二人の肖像」は共に特選となつた。同8年帝展となつてからも、その第1回展の「梨花」、11年第4回展の「肖像」によつて特選を受け、同14年以後屡々帝展審査員をつとめた。昭和2年光風会々員に推された。同20年4月以来広島県下に疎開し、終戦後は製作のかたわら地方文化の向上につとめ、同25年には広島大学の講師となつた。代表作には、前記のほか「兄妹」(第5回帝展)、「斜陽」(第11回帝展)、「少年」(第13回帝展)、「わが菜園」(戦時美術展)などがあり、その作風は典型的な官学風を守つていた。なおその遺志によつて、その主要作品と共に、遺産の大部分が東京芸術大学に寄贈され、これによつて記念財団が設立された。

後藤真太郎

没年月日:1954/01/27

株式会社座右宝刊行会取締役社長後藤真太郎は、腎臓炎で杏雲堂病院に入院加療中のところ、1月27日逝去した。享年60歳。明治27年5月28日、京都府に生る。京都絵画専門学校にて日本画を学んだが、この頃小出楢重と親交を結び、同じ頃「白樺」に刺戟され、また武者小路実篤の「新しき村」運動に参加した。およそ1年ののち昭和2年東京へ出た。この頃から白樺派の作家達と交つた。志賀直哉が「座右宝」(大正15年刊)を刊行したのち、同刊行会刊、岡田三郎助編纂の「時代裂」を手伝い、のち同会を引き継ぎ主宰者となる。以後、美学、美術史、建築、考古学関係の書籍及び画集等の専門的出版社として特異な存在となつた。此の間、日満文化協会評議員として中国・満洲方面へ毎年渡り、両国文化交流に出版面に於いて貢献した。又、昭和8年に創立した美術小団体「清光会」は、その会員にわが国の代表的な美術家を揃え、昭和29年の第19回展にいたるまで殆ど連年展覧会を開いて注目された。一方東西古美術品を愛し、陶器の蒐集家としても知られた。 主な刊行図書は、先の「座右宝」についで「聚楽」、「纂組英華」、「時代裂」、「Garden of Japan」、「熱河」、又、「考古学研究」を始めとする浜田青陵全集全4巻、伊東忠太の「支那建築装飾」(全9巻内6巻までで、博士死去のため未完成)水野清一・長広敏雄の「龍門石窟の研究」、池内宏「通溝」等である。戦後、雑誌「座右宝」を創刊したが、19号にして廃刊のやむなきに至つた。更に昭和26年より、水野・長広による「雲崗石窟」全15巻及び、田村実造・小林行雄の「慶陵」全2巻の刊行が始まり、両書共、夫々昭和27年、29年の朝日文化賞及び、日本学士院恩賜賞を受けた。自編著としては、「時代裂」(岡田三郎助共編)「華岳素描」「旅順博物館図録」等がある。

金井紫雲

没年月日:1954/01/19

元都新聞美術記者金井紫雲は、1月19日狭心症のため急逝した。享年66。本名泰三郎。明治21年1月2日埼玉県高崎に生れた。同35年上京、独学にて研鑚、この間坪内逍遙、田村江東等の薫陶を受けた。同42年中央新聞杜へ入社、社会部に勤務、大正10年都新聞社に移り、学芸部長となつて主に美術記者として活躍し、勤続15年に及んだ。その趣味はきわめて広く、美術だけでなく盆栽、花、鳥等にも専門的な研究を企て、多くの著書を遺した。主なものに「盆栽の研究」(大正3年)、「花と鳥」(大正14年)、「花鳥研究」(昭和11年)、「東洋花鳥図攷」(昭和18年)、「鳥と芸術」(同23年)、「東洋画題綜覧」(同16-18年)、「芸術資料」(48巻、同11年-16年)等がある。

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