小笠原信夫

没年月日:2018/10/29
分野:, (学)
読み:おがさわらのぶお

 日本刀剣史の研究者である小笠原信夫は、10月29日心筋梗塞により死去した。享年80。
 1939(昭和14)年、千葉県香取市佐原に父勤一、母らくの長男として生まれる。62年、早稲田大学政治経済学部を卒業。幼少の頃から日本刀が好きであったと語っており、大学時代に師となる佐藤貫一(寒山)の指導を受け、64年佐藤が設立に加わった財団法人日本美術刀剣保存協会に研究職として採用される。67年、東京国立博物館の学芸部工芸課に転職し、刀剣室員・主任研究官を経て83年刀剣室長、1994(平成6)年、工芸課長を務め、2000年3月退官する。その後10年まで聖心女子大学の非常勤講師として博物館学等を講義した。
 専門とした日本刀剣史では、初めは桃山から江戸時代の新刀について、実物作品の作風や銘文の精査、それに当時の刀剣書のみならず随筆などから刀工について再検討を行い、多くの論文を発表した。江戸の刀工については、『長曽祢乕徹新考』(雄山閣、1973年)、「江戸の新刀鍛冶」(『MUSEUM』209・213・225、1968年・68年・69年)、また京、大阪の新刀については、「大阪新刀鍛冶・河内守国助考」(『MUSEUM』197、1967年)、「出羽大掾国路に関する一私考」(『MUSEUM』265、1973年)、「埋忠明寿とその周辺に関する一考察」(『MUSEUM』265、1976年)等がある。
 その後研究の幅を広げ、古刀についても実物資料を重視するとともに、室町時代以来の刀剣書の記述内容を再検討し、刀工の系譜や代別等について新たな見解を示した。79年の「長谷部国重についての一考察」(『MUSEUM』338)では相州鍛冶新藤五国光との関係と系譜に新解釈を加え、83年の『備前大宮鍛冶の系譜に関する問題』(『MUSEUM』385)では、これまでの大宮鍛冶と言われていた者は全くの別系統であることを示した。これらの論文のほか、古刀に関しては、「備前長船鍛冶長光の研究」(『東京国立博物館紀要』15、1979年)、「山城鍛冶了戒・信国考」(『MUSEUM』409、1985年)、「正宗弟子説の成立過程―『古今銘尽』開版の諸条件―」(『MUSEUM』495、1992年)等がある。18年、それまでの論文をまとめた『刀鍛冶考―その系譜と美の表現』(雄山閣、2019年、没後刊行)を発刊準備中に亡くなった。
 東京国立博物館では特別展「日本のかたな 鉄のわざと武のこころ」(1997年)、特設展観「打刀拵」(1987年)等の展覧会を企画した。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(527-528頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小笠原信夫」『日本美術年鑑』令和元年版(527-528頁)
例)「小笠原信夫 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995846.html(閲覧日 2024-04-24)

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