浜口タカシ

没年月日:2018/08/11
分野:, (写)
読み:はまぐちたかし

 写真家の浜口タカシは8月11日、大腸がんのため横浜市内の自宅で死去した。享年86。
 1931(昭和6)年9月2日静岡県田方郡(現、伊豆の国市)に生まれる。本名・隆(たかし)。静岡県内の商業学校を卒業後、関西の写真材料商に勤務していた時に写真に関心を持ち、撮影を始める。
 55年に横浜に移住。56年には日本報道写真連盟に加入し、写真店を営むかたわら、戦後社会のさまざまな側面にレンズを向けるようになる。59年には皇太子ご成婚パレードにおける投石事件を撮影、その写真が新聞や雑誌に広く掲載される。この頃からフリーランスの報道写真家として、米軍基地、広島と長崎の両被爆地、大学闘争、水俣や四日市などの公害といった多岐にわたるテーマを精力的に撮影、発表するようになった。68年には個展「記録と瞬間」(ニコンサロン、東京)を開催、翌年写真集『記録と瞬間:浜口タカシ報道写真集1959―1968』(日本報道写真連盟、1969年)にまとめ、報道写真家としての評価を高めた。
 70年代以降もさまざまな事件、事故、災害などの現場を取材する一方、60年代半ばから12年間取材を重ねた成田闘争や、80年代に入って帰国が始まった中国残留孤児をめぐる取材、70年代初めから10数年にわたって撮影を重ねた北海道の人と自然をめぐる撮影、またライフワークとして30年以上も続けた富士山の撮影など、長期にわたってとりくんだ仕事も多い。2011(平成23)年の東日本大震災の際にも発生直後に被災地に入り、その後も撮影を重ねるなど、晩年まで意欲的に取材活動を展開した。半世紀以上に及ぶ活動や幅広い取材対象は、一人の写真家の仕事としては稀有というべき、戦後日本社会の広範なドキュメントの形成という成果につながった。
 写真集としてまとめられた仕事も多く、その主なものに『大学闘争70年安保へ』(雄山閣出版、1969年)、『ドキュメント・視角』(日本カメラ社、1973年)、『ドキュメント三里塚:10年の記録』(日本写真企画、1977年)、『再会への道:中国残留孤児の記録』(朝日新聞社、1983年)、『北海讃歌』(くもん出版、1985年)、『阪神大震災・瞬間証言』(岡井耀毅、照井四郎との共著、朝日新聞社、1995年)、『私の祖国:戦後50年・中国残留孤児の記録』(中国残留孤児援護基金・朝日新聞社、1995年)、『報道写真家の目:ドキュメント戦後日本[歴史の瞬間]』(日本カメラ社、1999年)、『東日本大震災の記録:報道写真家浜口タカシが見た!2011.3.11』(浜口タカシ写真事務所、2011年)などがある。
 一貫して報道機関に属さないフリーランスの立場で報道写真に携わる一方で、63年には日本報道写真連盟横浜支部、69年には二科会写真部神奈川支部の設立に中心的にかかわり、それぞれの支部会長を長く務めた他、66年には横浜美術協会にも加入するなど、横浜のアマチュア写真界の指導者として貢献した。また70年代には関東写真実技学校で後進の指導にあたった。
 87年には個展「ドキュメント日本:激動の日々35年」(横浜市民ギャラリー)を開催。同展により88年、第38回日本写真協会賞年度賞を受賞。また97年には長年の活動に対し、第46回横浜文化賞を受賞した。晩年には60-70年代の反体制運動を取材した写真による個展「反体制派」(タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム、東京、2015年)が開催されるなど、市井の写真家による戦後史のドキュメントとして、その仕事にあらためて注目が集まっていた。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(519-520頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「浜口タカシ」『日本美術年鑑』令和元年版(519-520頁)
例)「浜口タカシ 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995786.html(閲覧日 2024-04-26)

外部サイトを探す
to page top