亀井伸雄

没年月日:2018/07/17
分野:, (学)
読み:かめいのぶお

 長らく文化庁に勤め、文化財行政に大きな功績を残した亀井伸雄は7月17日に死去した。享年69。
 1948(昭和23)年9月19日、神奈川県に生まれる。神奈川県立小田原高等学校を卒業後、東京大学に入学、73年に同大学院工学系研究科修士課程都市工学専門課程を修了。同年4月より文化庁建造物課に勤務した。75年に奈良国立文化財研究所に異動、さらに84年から3年余にわたって奈良市教育委員会に勤務した後、87年に文化庁に戻っている。1999(平成11)年には建造物課長に就任し、2003年には国立都城工業高等専門学校長として宮崎県に赴任、2年間を高等教育の現場で過ごしている。05年には文化庁に復帰し、文化財鑑査官として文化財行政全般を専門的観点から統括する重責を担った。その後、文化庁参与などを経て、10年からは東京文化財研究所の所長を務めている。
 行政にあっての亀井の業績は、町並保存、建造物修理、国宝・重要文化財の指定など幅広いが、その功績の中で特筆されるべきものとして災害への対応が挙げられる。95年1月の阪神・淡路大震災においては、建造物課修理企画部門の主任文化財調査官として、文化財建造物の復旧事業を舵取りする立場にあった。また、東京文化財研究所長在任中の11年に起きた東日本大震災に当たっては、東京文化財研究所に置かれた東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会委員長として、被災した文化財のレスキュー事業を統括する役割を担った。この間、大規模災害時における文化財の復旧・復興の重要性への世の認識は大きく変わり、かつて「文化財どころではない」と語られていたことと比べると、文化財に復旧・復興全体のシンボルとしてのイメージが定着した今日は隔世の感がある。亀井は、こうした文化財の社会の中での位置づけが、大きく変わり続ける転換点に立ち会ったことになる。
 同じように、文化財、特に建造物の対象が大きく広がる過程にあって、その原動力の一端を担ったことも亀井の功績と言ってよい。96年の登録文化財制度の新設にあたっては、建造物課調査部門の主任調査官としてその中核を成し、明治以降の建造物や、土木構造物の指定・登録も積極的に推進した。さらに、文化庁退任後の15年には文化審議会文化財分科会長に就任し、文化財の活用の重視や保存計画の位置付けの明確化がなされた18年の文化財保護法改正にも関わっている。
 また研究者としての亀井の成果は、都市工学科出身という出自を反映してか町並関係の論考が中心である。それらは、奈良国立文化財研究所在籍当時の調査等を中心に、それまでの研究のまとめとして、92年の学位論文「歴史的市街地の構造と保存の評価に関する研究」に結実している。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(516頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「亀井伸雄」『日本美術年鑑』令和元年版(516頁)
例)「亀井伸雄 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995756.html(閲覧日 2024-04-19)

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