森永純

没年月日:2018/04/05
分野:, (写)
読み:もりながじゅん

 写真家の森永純は4月5日、心不全のため埼玉県内の病院で死去した。享年80。
 1937(昭和12)年11月11日、長崎市に生まれる。本名・純雄(すみお)。44年佐賀県に移住、同地で育ち56年龍谷高等学校を卒業。同年上京して日本大学芸術学部写真学科に入学、60年に卒業した。61年1月、岩波映画製作所写真部に暗室マンとして入社するが、同年11月に退社、日立製作所の委嘱で同社を撮影するために長期滞在していた写真家W.ユージン・スミスの助手となり、スミスが離日するまで約一年間暗室作業などを担当。その後フリーランスとなる。
 60年代半ばには写真雑誌などに作品を発表するようになり、60年代末には渡米、ニューヨークに約一年半滞在。帰国後の69年、ニューヨークで撮影した作品による個展「モーメント・モニュメント」(ニコンサロン、東京)を開催、この展覧会により同年の第13回日本写真批評家協会賞新人賞を受賞する。その後「オリジナルプリント’60~’71」(画廊春秋、東京、1971年)、「都市の眺め」(ニコンサロン、東京、1978年)などの個展を開催。78年に写真集『河―累影』(邑元舎)を出版。大学を卒業した60年から63年にかけ、都内の河川の水面を撮影したモノクローム作品により構成され、ブックデザインは杉浦康平が担当。同作により80年、第30回日本写真協会賞年度賞を受賞した。
 70年代後半には、海外に日本の現代写真を紹介する「Neue Fotografie aus Japan」(グラーツ市立美術館、1976年、以後オーストリア、ドイツを巡回)や「Japan:A Self―Portrait」(国際写真センター、ニューヨーク、1979年)などの展覧会にも選ばれるなど、都市風景や海の波などモティーフとする独自の作風により評価を確立し、以降も寡作ながら一貫した作家活動を展開した。
 『河―累影』は、川面にレンズを向けた最初期の作品を、撮影から十数年を経て写真集にまとめたものであり、また晩年に刊行された二冊目の写真集『Wave:all things change』(かぜたび舎、2014年)も、前作のテーマを引き継ぎ、70年代から長くとりくんだ海面の波を被写体としている。長く森永がとりくんだこの二つの代表作は、いずれも水面という、つねに流動し形を変える被写体をモノクロームの画面にとらえたイメージの累積によって構成されており、生々しい物質感と抽象性を併せ持ち、深遠な世界観を映像化した仕事として高く評価された。また助手時代にスミスのプリントへの高い要求に応えるべく暗室技術を磨き、その後渡米し、現地でオリジナルプリントの概念に触れた森永は、作品世界の基盤としてのプリントのクオリティを徹底して追究したことでも知られる。こうした森永の写真観の一端は、松岡正剛、佐々木渉との鼎談による『写真論と写心論』(工作舎、1979年)においても語られている。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(505-506頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「森永純」『日本美術年鑑』令和元年版(505-506頁)
例)「森永純 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995681.html(閲覧日 2024-10-07)

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