高畑勲

没年月日:2018/04/05
分野:, (映C)
読み:たかはたいさお

 子供だけでなく大人も享受する芸術として、本邦におけるアニメーションの今日の隆盛に大いに貢献したアニメーション映画監督、プロデューサーの高畑勲は東京都内の病院で4月5日に肺がんのため死去した。享年82。
 1935(昭和10)年10月29日三重県伊勢市に生まれる。東京大学仏文科在学中に、仏・アニメーション映画『やぶにらみの暴君』(55年日本公開、ポール・グリモー監督・脚本、詩人ジャック・プレベールが共同脚本)を見てアニメーションを志す。同大学を卒業後、59年に東映動画(現、東映アニメーション)へ入社。64年TVアニメ『狼少年ケン』で演出に昇格し、各話を分担し担当。68年『太陽の王子 ホルスの大冒険』で劇場映画初演出(監督)。この作品では場面設計を宮崎駿、作画監督を大塚康夫が務め、以降の高畑作品における共同制作の嚆矢となるだけでなく、当時は依然として子供だけのものと思われていたアニメ映画において、作品に民族対立や宗教性、村落での共同生活といった社会的・政治的・道徳的なテーマを取り込んで制作を進め、当時まだ興隆期であった日本のアニメーションにおいて、芸術としても深みのある表現を探っていった。同作はタシケント国際映画祭演出賞を受賞する一方、公開時の興行収益は振わず、加えて同作制作の大幅な遅延・予算超過により、高畑は演出助手に降格となった。
 その後、69年に演出へ再昇格するものの、童話『長くつ下のピッピ』のアニメーション企画を実現させるため、宮崎駿・小田部羊一とAプロダクション(現、シンエイ動画)に71年に移籍。制作準備のため、当時アニメ作品では異例であった海外現地への事前取材を行うも、原作者のアストリッド・リンドグレーンからアニメ化の許可が下りず制作中止となる。代わりに『ルパン三世』(TV第1シリーズ。第六話以降)の演出を宮崎駿と共同で担当。後にシリーズ化する人気作品の基盤を作る。同社では映画『パンダコパンダ』『パンダコパンダ雨降りサーカスの巻』等の演出を手掛け、73年ズイヨー映像(現、日本アニメーション)に移籍。『アルプスの少女ハイジ』(1974年)では再び海外への事前取材や主題歌の海外現地録音を敢行し、全話で演出を担当。作品に横〓する丁寧かつ活き活きとした生活描写に繋げた。続けて『母をたずねて三千里』(1976年)、『赤毛のアン』(1979年)の全話の演出を行い、綿密な生活描写からなる人間ドラマをアニメーション表現において高めていく。81年に映画『じゃりン子チエ』(脚本・演出)、同作TVシリーズ(チーフディレクター)を担当。大阪が舞台の作品のため、声優には大阪弁の話せる芸人などの話者にこだわり、当地独特の風土表現や生活描写に繋げる。映画『セロ弾きのゴーシュ』(1982年、脚本・演出)で毎日映画コンクール大藤信郎賞受賞、ヴァルナアニメーション祭招待作品となる。
 宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』(1984年)、『天空の城ラピュタ』(1986年)でプロデューサーを務め、85年のスタジオジブリの設立に加わる。88年に『火垂の墓』(原作 野坂昭如、監督・脚本)を劇場公開し、宮崎駿とともに世界各国で評価されるアニメ作品を生み出すスタジオジブリの基盤を築く。1991(平成3)年『おもひでぽろぽろ』(監督・脚本、芸術選奨文部大臣賞)、94年『平成狸合戦ぽんぽこ』(監督・脚本、仏・アヌシー国際映画祭グランプリ受賞)では、それぞれ日本映画配給収入一位を記録。その後は寡作ながら、『ホーホケキョとなりの山田くん』(1999年)、『かぐや姫の物語』(2013年)の監督・脚本を担当し、手書きの水彩画風のタッチや、ラフな線描、余白を残し省略された背景描写など、見る者の想像に広がりを持たせる手法や表現を探り、『かぐや姫の物語』では毎日映画コンクール・アニメーション映画賞、米・ロサンゼルス映画批評家協会賞(アニメーション映画部門)等を受賞、米・アカデミー賞長編アニメーション部門賞にノミネートされた。
 98年に紫綬褒章を受章。スイス・ロカルノ国際映画祭で名誉豹賞(2009年)、仏・アヌシー国際アニメーション映画祭(2014年)では名誉功労賞、15年に仏・芸術文化勲章オフィシエが贈られ、16年に国際アニメーション協会の生涯功労賞にあたるウィンザー・マッケイ賞を受賞した。
 著作としては『「ホルス」の映像表現』(徳間書店 アニメージュ文庫、1983年)、『話の話―映像詩の世界』(徳間書店 アニメージュ文庫、1984年)、『映画を作りながら考えたこと1955~1991』(徳間書店、1991年)、『十二世紀のアニメーション 国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの』(徳間書店、1999年)など。また翻訳として『木を植えた男を読む』(訳著、徳間書店、1990年)、ジャック・プレヴェール詩集「ことばたち」(訳、ぴあ、2004年)等があり、12年には米・ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン名誉博士号が授与された。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(504-505頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「高畑勲」『日本美術年鑑』令和元年版(504-505頁)
例)「高畑勲 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995676.html(閲覧日 2024-03-29)

外部サイトを探す
to page top