宇野茂樹

没年月日:2018/03/23
分野:, (学)
読み:うのしげき

 彫刻史研究者・滋賀県立短期大学名誉教授の宇野茂樹は、癌のため3月23日に死去した。享年97。
 1921(大正10)年3月9日、滋賀県栗太郡栗東町に生まれる。滋賀県立膳所中学校(現、滋賀県立膳所高等学校)を経て1944(昭和19)年9月、國學院大学神道部本科を卒業。応召によって敦賀歩兵連隊に入隊し中国へ出征する。46年8月に復員し、9月より京都帝国大学文学部国史研究室に学ぶ。48年3月に滋賀県重要美術品等調査事務取扱嘱託となり、12月に滋賀県技術吏員(技師)として滋賀県立産業文化館(後の琵琶湖文化館)に勤務する。61年4月、学芸員として滋賀県立琵琶湖文化館勤務。65年4月、滋賀県立短期大学に助教授として着任、71年4月、教授に昇進。86年3月、同大学を定年退職し、名誉教授の称号を授与される。同年4月、大阪商業大学商経学部教授に着任。1990(平成2)年7月、栗東歴史民俗博物館館長となる。94年3月、大阪商業大学を定年退職。2000年4月、栗東歴史民俗博物館名誉館長。滋賀大学、同志社大学で非常勤講師として教鞭を執ったほか、滋賀県文化財保護審議会委員、滋賀県文化財保護協会理事、野洲町立歴史民俗資料館運営審議会委員など、滋賀県内の文化財・博物館行政の要職を歴任した。91年に滋賀県文化賞を受賞。96年に勲三等に叙され瑞宝章を授与される。小槻大社宮司・五百井神社宮司を務めた。
 宇野は小槻大社宮司職を務める家に生まれ、國學院大学で考古学者・大場磐雄の指導を仰いだ。滋賀県庁に奉職後は県内各地の寺院調査を行い、近江地域の彫刻史研究に精力的に取り組んだ。58年には滋賀県内の在銘彫刻63点にコロタイプ写真を付した『近江造像銘』(山本湖舟写真工芸部)を、74年には近江地域の古代から中世へと至る彫刻史を論じた『近江路の彫像』を刊行する。77年、論文「近江宗教彫刻論」を國學院大学に提出し、博士号を授与される。多年にわたる実地調査に基づき、天台宗や神仏習合といった複雑な信仰背景を持つ近江の仏像・神像彫刻を数多く紹介し、当該地域における彫刻史研究の発展に大きく寄与した。大学では博物館での勤務や豊富な調査経験を踏まえて後進の指導と育成に努め、とりわけ同志社大学では長く博物館実習を受け持っていたため、その薫陶を受けた者は多い。
 著作に『日本の仏像と仏師たち』(雄山閣、1982年)、『近江の美術と民俗』(思文閣出版、1994年)、『仏教東漸の旅:はるかなるブッダの道』(思文閣出版、1999年)など。論文に「近江常楽寺二十八部衆について」(『日本歴史』148、1960年)、「石山寺本尊考」(『文化史研究』17、1965年)、「園城寺新羅明神像」(『史跡と美術』384、1968年)、「近江の白鳳彫刻―韓国古代彫刻を中心として」(『文化史学』27、1971年)、「比叡山常行堂の阿弥陀像―近江国梵釈寺像を中心として―」(『佛教藝術』96、1974年)、「鎌倉時代初期の延暦寺における仏師動静」(『史跡と美術』465、1976年)、「熊野信仰と園城寺」(『神道及び神道史(西田長男博士追悼号1)』37・38、1982年)、「神像彫刻の展開」(『栗東歴史民俗博物館紀要』2、1996年)ほか多数。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(502頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「宇野茂樹」『日本美術年鑑』令和元年版(502頁)
例)「宇野茂樹 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995661.html(閲覧日 2024-03-29)

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