山岸享子

没年月日:2018/03/15
分野:, (美関)
読み:やまぎしきょうこ

 写真キュレーターの山岸享子は3月15日、大腸がんのため死去した。享年78。
 1940(昭和15)年2月8日神奈川県三浦郡三崎町(現、三浦市三崎)に生まれる。旧姓洞外(とうがい)。61年東洋女子短期大学英語科卒業。写真家中村正也のスタジオスタッフを経て、64年より67年まで『カメラ毎日』の編集部に勤務、取材や執筆も含む編集作業に携わる。68年同誌の編集者であった山岸章二と結婚。60年代末より語学力を活かして山岸章二の海外での活動をサポートするようになる。特に「New Japanese Photography」(ニューヨーク近代美術館、1974年)や「Japan:A Self―Portrait」(国際写真センター、ニューヨーク、1979年)など、山岸章二が企画に関わった展覧会に携わることで、美術館がコレクションするなど、写真が芸術の一ジャンルとして扱われ、質の高いオリジナル・プリントによる展示が開催されていたアメリカ写真界の実情に触れるとともに、現地の写真家や写真関係者に広く知遇を得る。
 独立して写真プロデューサーとして活動していた山岸章二が79年に死去した後は、その事務所を引き継ぐかたちで、写真展や写真集の企画などを手がけた。中でもアメリカを中心とした海外の写真を紹介する展覧会に数多く携わり、その主なものとして、「20世紀の写真:ニューヨーク近代美術館コレクション展」(西武美術館、東京、1982年)、「リー・フリードランダー展」(有楽町アート・フォーラム、1987年)、「表現としての写真150年の歴史」(セゾン美術館、東京、1990年)などがある。また写真集のプロデュースにおいては、質の高い海外の写真集の出版事情に通じ、その見識を活かした高いクオリティの写真印刷による出版を実現したことで知られる。その代表的なものに江成常夫『まぼろし国・満洲』(新潮社、1995年)、新正卓『沈黙の大地/シベリア』(筑摩書房、1995年)がある。
 1990(平成2)年にはJ.ポール・ゲティ美術館より助成を受け、同館にて滞在研究するとともに日本の現代写真に関する講演を行った。93年から武蔵野美術大学映像学科で非常勤講師として現代写真論の講義などを担当(2008年まで)。93年から2008年まで写真の町東川賞審査員を務めた。
 多年にわたり日本の写真の海外への発信や海外の同時代の写真の国内への紹介などを通じて日本の写真文化の発展に貢献した功績に対して、12年、第62回日本写真協会賞国際賞を受賞した。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(501-502頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「山岸享子」『日本美術年鑑』令和元年版(501-502頁)
例)「山岸享子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995656.html(閲覧日 2024-04-20)

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