中村俊春

没年月日:2018/01/09
分野:, (学)
読み:なかむらとしはる

 京都大学大学院教授で、17世紀の北方ヨーロッパ美術研究を中心に多大な功績を残した中村俊春は1月9日に死去した。享年62。
 1955(昭和30)年12月2日、大阪府寝屋川市に生まれる。74年4月、京都大学文学部入学。西ドイツ遊学を経て79年3月卒業(美学美術史学専攻)。同年4月、京都大学大学院文学研究科修士課程(美学美術史学専攻)入学、81年4月に博士後期課程(同)に進学した。82―85年の西ドイツ、ミュンヘン大学留学を経て、87年3月に博士後期課程研究指導認定退学。同年4月に京都大学文学部助手に任じられた。1989(平成元)年4月より国立西洋美術館に研究官として勤務したのち、93年4月、京都大学文学部助教授就任(1996年4月、京都大学大学院文学研究科助教授に配置換え)。2003年4月教授に昇任し、06年には「ペーテル・パウル・ルーベンス――絵画と政治の間で」(三元社より2006年刊行)で博士号(文学)を取得。18年の逝去まで研究と教育に尽力した。
 研究業績は、17世紀の北方ヨーロッパ美術を中心に美術史学の幅広い分野に及び、それらは、英語による執筆、発表を含め、著書3冊(うち1冊は近刊予定)、編著・監修18冊、共著・共編著2冊、学位論文を含む論文64点、学会発表・講演等45件、企画・監修した展覧会7件等で発表されている。なかでも重要な研究成果は画家ペーテル・パウル・ルーベンスに関するもので、上述の博士論文は、祖国ネーデルラントの分断と混乱の時代を生き、外交官としても活躍したルーベンスの絵画制作と政治活動の関わりを、鋭い作品分析、膨大な先行研究の的確な咀嚼と批判、同時代史料の丹念な読解に基づいて論じた大著となっている。
 ルーベンス研究については、さらにいまひとつの軸があり、それは、この画家の工房運営や周辺画家たちとのかかわりをめぐるものであった。それらの論考は優れた鑑識眼に支えられたものであり、ときに通説に対する大胆な対案を提示するものとなっている。成果の多くは展覧会と関連して発表されており、『ソドムを去るロトとその家族――ルーベンスと工房』(国立西洋美術館、1993年)、『ルーベンス――栄光のアントワープ工房と原点のイタリア』展(Bunkamura ザ・ミュージアム他、2013年)等は、その精華と言えるものである。
 さらに、17世紀ネーデルラント美術を代表するもうひとりの画家、レンブラントも、重要な研究対象となった。ルーベンスとの対比を念頭に置いた独創的なレンブラント論が展開されたが、その着眼点のひとつは、芸術的競合という名のもとにおける画家たちの相互作用であった。本人の遺志に基づいて18年に出版された著作集Inspira‐tion and Emulation: Selected Studies on Rubens and 
Rembrandt (Peter Lang, Bern)は、まさにこのテーマに沿って編まれている。
 学際研究にも積極的に参加し、とくに親密圏、つまり家庭や母子などの表象に関する分野に優れた成果を残した。女性の使用人を描いたオランダ風俗画群より構成し、監修した『フェルメール«牛乳を注ぐ女»とオランダ風俗画展』(国立新美術館、2007年)の図録は、17世紀オランダにおける女性の家内労働の表象に関する専門書となっている。さらに16年には、『美術フォーラム』において、西洋の伝統的図像「人生の階段」に着想を得た「人生の諸階段」に関する特集も組んでおり、こうした研究は、歴史社会学の分野からも注目を集めるものとなった。
 研究活動のかたわら、国内外の研究者が同一テーマについて最新の研究成果を発表する国際コロッキウムKyoto Art History Colloquiumの定期的開催と、その成果論集でもある英文紀要Kyoto Studies in Art Historyの創刊を実現したほか、学術雑誌『西洋美術研究』に当初より編集委員として参加するなど、西洋美術研究の振興や後進の育成にも労を惜しまず、大きな足跡を残した。
*本記事は以下に基づき執筆されている:故中村俊春先生を偲ぶ会実行委員会編『中村俊春先生 業績目録』2018年6月発行

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(494頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「中村俊春」『日本美術年鑑』令和元年版(494頁)
例)「中村俊春 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995596.html(閲覧日 2024-04-26)

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