酒井田柿右衛門〔13代目〕

没年月日:1982/07/03
分野:, (陶)

赤絵磁器を代表する「柿右衛門」の窯元13代酒井田柿右衛門は、7月3日午後6時50分、胃ガンのため、自宅より佐賀県藤津郡嬉野町の国立嬉野病院に向かう車中で死去した。享年75。1906(明治39)年9月20日、佐賀県西松浦郡に12代酒井田柿右衛門(正次)の長男として生まれ、本名渋雄。24年有田工業学校製陶科を卒業する。「柿右衛門」は古伊万里・色鍋島と共に有田焼を代表し、初代柿右衛門が創始した日本初の色絵技術の伝統を継ぎ、輸出によりデルフト窯、マイセン窯等ヨーロッパ窯業界にも大きな影響を与えた。失透釉の乳白色の素地は、米のとぎ汁に似るところから「濁手」と呼ばれ、江戸中期の4代目以降衰退していたが、53年父と共にその復元に成功、文化財保護委員会より無形文化財の記録選択を受ける。63年父の死去に伴い13代酒井田柿右衛門を襲名、同年以後日本伝統工芸展に出品し、一水会にも出品、審査員をつとめる。64年日本工芸会正会員となり、67年佐賀県重要無形文化財認定、同年佐賀県文化功労者として表彰される。70年には佐賀県陶芸協会会長、71年柿右衛門製陶技術保存会を設立し会長就任、また同年「柿右衛門」(濁手)は重要無形文化財に総合指定され、その保持者として認定されたが、76年文化財保護法の改正により、保持者は柿右衛門製陶技術保存会に認定換となった。主に伝統的な模様を用いた保守的傾向の強い12代に対し、写生に基づく模様の創作を試み、現代性を加味した新しい柿右衛門様式を確立した。72年紫綬褒章、75年西日本文化賞、78年勲四等旭日小綬章、79年佐賀新聞社文化賞を受賞、没後正五位に叙せられ、有田町名誉町民の称号を受けた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和39年版(127頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「酒井田柿右衛門〔13代目〕」『日本美術年鑑』昭和39年版(127頁)
例)「酒井田柿右衛門〔13代目〕 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9882.html(閲覧日 2024-04-23)
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