有馬三斗枝

没年月日:1978/02/25
分野:, (洋)

光風会名誉会員、日展参与の女流洋画家、有馬さとえは、2月25日午後7時26分、老衰のため東京都杉並区の自宅において死去した。享年84。有馬さとえは本名サト、「さとえ」または後年「三斗枝」と署名している。明治26年(1893)5月20日、鹿児島市に、父有馬高徳、母せいの三女として生まれた。父高徳は漢方医であったが、さとえ誕生の18日前に死去している。鹿児島県立第一高等女学校を中退して上京しているが、上京の正確な年月は不詳である。明治44年(1911)晩秋に岡田三郎助に師事し、本郷洋画研究所(明治45年6月創設)に通った。大正3年(1914)第8回文展に「静物」が初入選となり、以後、文展、帝展、新文展に出品し、大正15年(1926)第7回帝展の「花壺」が女流洋画家としては初めての特選となり、翌年無鑑査、昭和3年(1928)第9回帝展「窓ぎわ」が再度特選にえらばれた。昭和12年新文展第1回展から無鑑査となり、戦後の日展では昭和22年第3回展で招待、翌23年依嘱、昭和29年には日展審査員、同33年改組日展の会員、同36、40年と審査員をつとめ、同37年には日展評議員、同45年日展参与となった。また、大正13、14年と光風会展に出品、戦後昭和21年同会会員となって再度出品するようになった。女流画家関係の展覧会では大正8年(1919)に第1回朱葉会展に出品しただけで他はいっさい出品していない。本郷絵画研究所の赤洵社展(大正11-13)、その後の本郷絵画展、春台展にはつづけて出品している(大正14~昭和15)。昭和26年、弟子であった鹿島卯女が杉並区にアトリエを建築して有馬に贈り、晩年をそこで過した。

作品略年譜
文展 大正3年8回展「静物」、同4年9回展「静物」、同5年10回展「やすめる女」、同6年11回展「マンドリン」、同7年12回展「聴いている女」。
帝展 大正9年2回展「髪」、同10年3回展「窓ぎわの自画像」、同13年5回展「蔬菜と果物」、同14年6回展「赤い扇」(東京国立近代美術館蔵)、同15年7回展「花壺」(特選)、昭和2年8回展「たんぽぽを持つ女」、同3年9回展「窓ぎわ」(特選)、同4年10回展「窓辺の少女」、同5年11回展「写生する人」、同6年12回展「裏山の見える窓」、同7年13回展「卓に倚る」、同8年14回展「夕月の窓」、同9年15回展「後庭」、同10年第2部会展「縁台の少女」。
新文展 昭和12年1回展「朝の間に」、同13年2回展「夏日」、同14年3回展「むすめ」、同15年紀元2600年奉祝展「葡萄みのる」、同16年5回展「母と子と」、同19年戦時特別展「ふね」。
日展 昭和21年1回展「五月の窓」、同2回展「憩い」、同22年3回展「ひととき」、同23年4回展「秋果のある部屋にて」、同24年5回展「秋の露台」、同25年6回展「夏の乙女」、同26年7回展「郊外の庭にいるS夫人」、同27年8回展「窓辺に寄す」、同28年9回展「若人」、同29年10回展「夜明の卓」、同30年11回展「静かな卓」、同31年12回展「龍膽」、同33年13回展「朝」。
新日展 昭和33年1回展「あさがお」、同34年2回展「朝すず」、同35年3回展「あさがお」、同36年4回展「朝顔有情」、同37年5回展「夏晨の卓」、同38年6回展「青嵐の卓」、同39年7回展「夏雲」、同40年8回展「若葉季節の記」、同41年9回展「新緑日記」、同42年10回展「向夏」、同43年11回展「白雲の卓」。
改組日展 昭44年1回展「初秋の卓」、同45年2回展「向日葵の窓」、同46年3回展「立秋の卓」、同47年4回展「青嵐の卓」、同48年5回展「窓の記」、同49年6回展「かかる日もありて」、同50年7回展「窓」、同51年8回展「窓の記」。

出 典:『日本美術年鑑』昭和54年版(278-279頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「有馬三斗枝」『日本美術年鑑』昭和54年版(278-279頁)
例)「有馬三斗枝 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9671.html(閲覧日 2024-04-25)

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