矢野鐵山

没年月日:1975/03/31
分野:, (日)

日本画家矢野鉄山は、3月31日急性心機能不全のため大阪府茨木市の病院で死去した。享年81歳。本名民雄。明治27年2月5日愛媛県県今治市に生れ、18歳の年上京し小室翠雲に師事した。24歳で大阪に移住し、大阪美術学校に入学、またこの年第2回帝展に「春靄・松壑」(対幅)が初入選している。翌大正10年日本南画院に「穣媚・霜晨」を出品、1等となり同人に推され、以後16年間同人として出品した。昭和12年乾坤社を興して展覧会を開催、5回展を迎えたが戦争のため中止するに至る。帝展はその後、昭和4年第10回「孤琴涓潔」、同8年第14回展に「荒凉」が特選となり、昭和18年第6回文展では審査員となった。また戦後昭和43年全日本水墨画協会を設立、同46年新しい水墨画の発展に尽くした功績によって、紫綬褒章を受章した。その他、日展会員でもあり、審査員もつとめた。作品は東洋独自の水墨画を現代に発展させたもので、作品は上記のほか「晴れ行く驟雨」「長江万里」「韓非子」「蘇秦張儀」などがある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和51年版(295頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「矢野鐵山」『日本美術年鑑』昭和51年版(295頁)
例)「矢野鐵山 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9627.html(閲覧日 2024-04-19)

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