芝田耕

没年月日:2010/04/30
分野:, (洋)
読み:しばたこう

 洋画家の柴田耕は4月30日午前0時55分、肺炎のため京都市北区の病院で死去した。享年91。1918(大正7)年11月23日、京都市上京区笹屋町に生まれる。1934(昭和9)年、旧制京都市立第二工業学校(現、京都市立伏見工業高等学校)建築科を卒業。41年以降、須田国太郎に師事。45年、須田が指導に当たっていた西陣の独立美術協会京都研究所に入所する。京都市展に出品し、市長賞・京展賞受賞。47年第15回独立美術協会展に「町」で初入選。54年第22回独立展に「夏木立」「卓上静物」を出品して独立賞を受賞し、翌年同会准会員に推挙される。59年、同会会員となる。60年京都学芸大学講師となる。68年、京都精華大学美術学部教授となる。1960年代は対象の再現描写をはなれ、やや幾何学的に形体にとらえ直して画面上に配置する詩情ある風景画を多く描いたが、1970年代半ばに、やや俯瞰した視点からとらえた西洋風景に、唐突に前景として椅子やテーブルなどの静物を描きこんだ作風へと転じた。87年第55回独立展に「或る光景」を出品して文化庁買い上げとなる。同作品も遠景に家屋を描き、画中画として静物画を描きこんだ構成となっており、自然主義的遠近表現と空間表現から離れた静謐な虚構空間を表している。88年京都府文化賞功労賞を受賞。1989(平成元)年、京都府文化功労者に選出される。94年独立美術協会会員功労賞を受賞。98年京都美術文化賞を受賞。99年には同賞受賞記念展が京都府京都文化博物館で開催された。京都教育大学で1970年まで、京都工芸繊維大学工芸学部で1985年まで講師を務めた。独立美術展30周年記念の際の『独立美術』(同協会、1962年)に「地方の地についた生活から」と題する一文を寄せ、「先ず自らの生活、生き方、考え方が先決のはずではありませんか」「地方の地についた生活から生れる絵画をいよいよ尊重してゆきたい」と述べているように、郷里である京都で制作を続け、内省的で静謐な画風を築いた。独立美術協会展出品略歴:第15回展(1947年)「町」(初入選)、20回(1952年)「樹間初秋」、25回(1957年)「出土」「古世人」、30回(1962年)「湖岸」、35回(1967年)「樹のある街」、40回(1972年)「オリーブと街」、45回(1978年)「北欧の街」、50回(1982年)「森の街」、55回(1987年)「或る光景(山脈)」、60回(1992年)「或る光景1992」、65回(1997年)「画室卓上」、70回(2002年)「ものを描く」、75回(2007年)「画室卓」、77回(2009年)「或る日の画室」(同展最終出品)

出 典:『日本美術年鑑』平成23年版(434頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「芝田耕」『日本美術年鑑』平成23年版(434頁)
例)「芝田耕 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28489.html(閲覧日 2024-04-18)
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