藤平伸

没年月日:2012/02/27
分野:, (工)
読み:ふじひらしん

 陶芸家で京都市立芸術大学名誉教授の藤平伸は、2月27日老衰のため死去した。享年89。
 1922(大正11)年7月25日、京都市五条坂の藤平陶器所を営む藤平政一の次男として生まれる。父政一と五条坂の作陶仲間として昵懇の仲であったのが、陶芸家河井寛次郎であった。じつは「伸」という名前の命名者は、父の畏友である河井寛次郎であったという。父の仕事を見ながら成長し、1940(昭和15)年に京都高等工芸学校(現、京都工芸繊維大学)窯業科に入学したが、二年生の時、結核に倒れて退学。四年間の闘病生活の間、スケッチや読書に明け暮れ、回復後は銅版画教室に通う。この時期の体験が後の作陶に大きな影響を与え、「病気をしていなかったら、いまの自分はなかった」と自ら語るように、死に対峙したことにより、清らかさの漂うメルヘン的な作風が培われたと考えられる。
 51年頃、父のもとで陶芸の道に入り、53年に日展初入選。56年、京都陶芸家クラブに入って、六代目清水六兵衛氏の指導を受ける。以後、日展を主舞台に活動し、57年に第13回日展で陶板によるレリーフの「うたごえ」が、特選の北斗賞を受賞。我が国の工芸において富本憲吉河井寛次郎八木一夫等と共に近代の京都陶芸史に足跡を残す一人となった。70年に京都市立芸術大学に助教授として招かれ、73年に教授となって88年に退官するまで作陶と後進の指導を行っている。
 その陶芸の作風には気負いは全く感じられず、まさに自然体の姿勢が創作への源ともなっていた。轆轤を使わず、手捻りやタタラで成形を行っている。作品は単に器だけでなく、人物(陶人形)や鳥や馬などの動物、建築物などの詩情溢れる陶彫も手掛けている。そのモチーフの多くは、中国・漢代や唐代などの俑に代表される、墓に埋納される明器からの影響を受けていた。器には鳥・花・人物などの具象的なモチーフを線描・刻線・貼り付けなどの技法を用いて、軽妙な作風を示している。それら心温まる陶彫と器の作品群などにより、「陶の詩人」とも呼ばれている。
 62年に日展菊華賞、73年に日本陶磁協会賞、1990(平成2)年に京都美術文化賞、93年には毎日芸術賞などをそれぞれ受賞。日展評議員、京都市立芸術大学名誉教授でもあった。“遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の聲きけば 我が身さえこそ揺るがるれ”、という平安時代末期に後白河法皇により編まれた今様歌謡(『梁塵秘抄』巻第二)をとくに好み、書にも残している。この歌の精神を持った、まことに京都の文人らしい軽妙洒脱でメルヘンの世界をやきもので表現し、日本の創作陶芸において独自の境地を開拓した陶芸家であった。

出 典:『日本美術年鑑』平成25年版(409-410頁)
登録日:2015年12月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「藤平伸」『日本美術年鑑』平成25年版(409-410頁)
例)「藤平伸 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/204387.html(閲覧日 2024-11-01)

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