玉置びん

没年月日:1980/12/04
分野:, (工,染織)

 記録作成等の措置を講ずべきものとして選択された無形文化財の「かっぺた織技術者」玉置びんは、心不全のため、東京都八丈島の自宅で死去した。享年83。1897(明治30)年9月13日、東京府八丈島に生まれた。八丈島の末吉地方には、かっぺた織という極めて原始的な形の織機で織る方法が伝えられており(越後や結城のいざり機の更に原始的な形のもので、登呂遺跡から発見された弥生時代の織機の断片が恐らくこれであり、アイヌや台湾の布を織る機、インドネシアや中南米のグァテマラやペルーの現地人の使っている機と同種)、しかもかっぺた織は、こうした原始的なものでありながら、綜絖が十枚もついている。経糸をかけたちまきとぬのまきが両方に張られて、その一端は部屋の鴨居か柱に結びつけられ、一方は織り手の腰にいざり機の要領で固定される。上下に五つずつ十枚の綜絖を交互に上下に引くことによって経糸を分け、そこへ刀筬の竹篦を通して、これを立てて杼道を分け、糸巻を通して緯糸を入れ篦でたたいて打ち込んで行くと、経糸に組み込まれた色糸によって、石畳、鱗、そろばん繋ぎ、十字などの幾何模様が織り出される。この至って原始的かつ珍重な技法の文様織を玉置びんは就学前の幼時より好んで見習い、習得したという。文様織の複雑な手間などから伝承者が少く、現今では唯一の伝承者であった。昔は帯のような幅の広いものも織られていたことが島に残っている古い機の部品から知ることが出来るが、明治末年にはすでに幅のせまい帯状のもの、紐状のものしか織られておらず、玉置びんも細帯、紐を、自家用と少量の注文品だけ織るにとどまっていた。
 国の「記録作成等の措置を講ずべきものとして選択された文化財」に「かっぺた織技術者 玉置びん」として選択されたのは1962年3月30日。

出 典:『日本美術年鑑』昭和56年版(267頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「玉置びん」が含まれます。
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