青地秀太郎

没年月日:1979/11/10
分野:, (洋)

 洋画家青地秀太郎は、数年来胃、食道等の癌疾により療養中であったが、11月10日死去した。享年64。1915(大4)年岡山市大供表町4-26に生れ、1933年上京し川端画学校で学び、岡田三郎助に師事した。また郷里に帰り小林喜一郎に師事した。1940年紀元2600年奉祝美術展に「夕餉まへ」が初入選し、ついで同42年第7回文展に「冬日」が入選した。戦後は日展に出品し、第2回「夏」、3回「溪間」、4回「城山にて」、5回「秋暮色」などがある。6回「解剖学教室」では特選となった。この年創元会に所属し会員となった。1951年日展無鑑査となり、翌年以後依嘱出品となった。この年創元会では努力賞となり、委員となった。54年中国に渡り、北京に滞在して制作をつづけた。62年日展を離脱し、また創元会も退会して以後無所属として活動した。69年には渡欧し、滞留して制作したが、晩年は上高地の山小屋生活による制作が殆どであった。代表作は上記のほか「上高地」連作がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和55年版(297頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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