守屋謙二

没年月日:1972/04/22
分野:, (学)

 慶応義塾大学文学部名誉教授守屋謙二は4月22日脳出血のため横浜市の自宅で死去した。享年73才。1898年(明治31)8月29日岐阜県大垣市の金丸という商号をもつ味噌醤油醸造業を営む旧家の十人兄弟中の二男に生れた。郷里の中学校を卒業したのち、1916年に仏教に興味をもって大谷大学に入ったが間もなく病いをえて休学し、復学後は、哲学に関心が傾き、1918年哲学者鹿子木員信のいる慶応義塾大学文科に入学。1923年哲学科卒業。1925年同学予科のドイツ語担当教員となる。1927年渡辺春子と結婚。かねてより書画を好んだ父の影響もあって絵やデッサンの鑑賞だけでなく自ら描いてもいたが、卒業後美術史教授沢木四方吉に師事して美術史を研究。その推挙により1928年から文学部で美術演習を担当した。はじめは日本美術史に興味をもっていたが、沢木教授の勧めもあって西洋美術史を専問とするようになる。1937年、文学部助教授。39年末フンボルト財団基金をえてドイツに留学。まずミュンヒェン大学でヤンクェン教授の講義に列し、のちベルリンでピンダー、キュンメル教授等を聴講。チロルのザンクト・クリストフの日独学生交歓会で「日本美術の特質」を講演して好評をえた。戦争の悪化によって日本への帰国が困難になったが1942年秋からライプツィヒ大学の日本研究所の教授となり、日本語と日本美術史を担当。余暇に描いた水墨画をグラッシ博物館の一室に陳列したこともある。1945年ドイツ降伏後シベリア経由で帰国し、文学部教授となる。1954年西ドイツ、ヴィースバーデンで出版した「Die Japanisehe Malerei 日本の絵画」により慶大で文学博士を授けられ、また義塾賞を与えられた。1960年8月3日最初の脳出血によって倒れ、かねてより志していたカトリックの洗礼を受けた。のち小康をえて大学院の講義を続行した。1965年、日本橋の高島屋で書画の個展を開いた。青年時代の同人雑誌「葡萄園」による短篇小説をはじめとして終生にわたる随筆や美術史論文などの数は多いが、主な業績としてはパッサルゲ著「現代美術史理論」(春秋社、1934年刊、のち改訳「現代における美術史の哲学」同社、1964年刊)の翻訳はさまざまな美術史理論の紹介解説として国際的にも類書の乏しいものだけに貴重なものであり、またことにヴェルフリン著「美術史の基礎概念」(岩波書店1937年刊)は美術史だけでなく広く芸術、文化における様式史的理解を深めた点でそれ以後大きな影響を及ぼしたものである。他にヴェルフリン著「古典美術」(美術出版社、1962年刊)、ヘルマン・ノールによる「美学」(朝日新聞社朝日新講座1949年刊)「Die Japanische Malerei」(Brockhaus,1953年刊)、「洗心居随筆」(春秋社、1969年)などが単行書として刊行されている。三田哲学会「哲学」(第53集、1968年刊)は「守屋先生古稀記念論文集」で、それまでの著作目録と自伝「七十年の幻影」を収める。本稿も主にこれによった。

出 典:『日本美術年鑑』昭和48年版(68頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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