小早川篤四郎

没年月日:1959/11/27
分野:, (洋)

 東光会委員、日展会員小早川篤四郎は、11月27日東京都目黒区の自宅で心臓マヒのため逝去した。享年66歳。明治26年1月6日、広島市に生れた。幼少のころ、台湾移住、同地で兵役前に石川欽一郎に水彩画の手ほどきをうけている。兵役2年を終えて上京し、自活しながら本郷絵画研究所に入り、岡田三郎助の指導をうけた。大正14年第6回帝展に「ジャワ婦人」が初入選となり、その後、第7回展をのぞき、昭和9年第15回帝展まで毎回入選して、12年の第1回文展では無鑑査となつた。また、この年9月、海軍に従軍を許されて、上海方面に出発し、その後も度々従軍して第3回文展「蘇州河南岸」など、戦争記録画の制作発表が多くなつていつた。一方、槐樹社にも参加して、同展で田中奨励賞を数回うけ、昭和6年会友となつたが、この年槐樹社は解散した。翌7年、東光会の創立に参加、会友となり、10年には会員に推され、晩年は同会委員であつた。又、戦後の日展では出品依嘱作家として毎年出品していた。

作品略年譜
大正14年 第6回帝展「ジャワ婦人」
大正15年 この年から槐樹社展で田中奨励賞を3年連続うける。
昭和2年 第8回帝展「裸像」
昭和3年 第9回帝展「裸体坐像」
昭和4年 第10回帝展「仰臥裸婦」
昭和5年 第11回帝展「少女全像」
昭和6年 第12回帝展「水兵服」
昭和7年 第13回帝展「裸女」
昭和10年 2月第3回東光会展「桜井少将立像」「廟前」他
昭和12年 第1回文展「黒い屏風の前」(無鑑査)
昭和14年 第3回文展「蘇州河南岸」第7回東光会展。従軍報告画出品「塹壕と花」他
昭和15年 紀元2600年奉祝展「庭」第8回東光会展「陣地小閑」「黒衣の少女」
昭和16年 第4回文展「秦淮凉風」(無鑑査)第9回東光会展「庭」「広西前線」
昭和17年 第10回東光会展「敵前上陸」「U夫人像」
昭和19年 戦時特別文展「暁雲」第12回東光会展「印度洋海戦」「南衣」「魚雷射つ海兵」
昭和22年 第13回東光会展「つれづれ」「新装」
昭和24年 第5回日展「青衣」第15回東光会展「作州雪景」「初春」
昭和26年 第7回日展(依嘱出品)「裸婦」第17回東光会展「城跡」「作北冬景」「春衣」
昭和27年 第8回日展(依嘱出品)「黒屏風」第18回東光会展「城址の春」
昭和28年 第9回日展(依嘱出品)「ヴェランダ」第19回東光会展「屏風の前」「歯科診療室」
昭和29年 第10回日展(依嘱出品)「裸婦坐像」第20回東光会展「浅春画房」「早春城跡」
昭和30年 第11回日展(依嘱出品)「婦人像」第21回東光会展「窓辺」「孔雀」
昭和31年 第12回日展(依嘱出品)「黒いドレス」
昭和33年 第1回日展(依嘱出品)「白かすり」第24回東光会展「婦人像」「五月雨頃所見」
昭和34年 第2回日展「池畔」日展会員となる。第25回東光会展「茶羽織」「T女子像」「古城早春」

出 典:『日本美術年鑑』昭和35年版(143-144頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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