飯塚琅玕斎

没年月日:1958/12/17
分野:, (工)

 日本工芸会理事、元日展参事、竹工芸界の重鎮飯塚琅玕斎は、12月17日急性心筋硬塞症のため、東京都文京区の自宅で逝去した。享年68才。本名弥之助。明治23年3月15日栃木市に生れた。家は代々竹芸を業とし琅玕斎も12才の時竹工を志し、父飯塚鳳翁に竹芸を学んだ。13才の折上京、書道、生花にも励んだ。制作活動は明治末から没年までにわたり、作品は各博覧会に、また帝展に工芸部設置後は帝展を主とし、続いて昭和期の文展に出品した。帝展で特選2回をうけ、文展では審査員、あるいは招待出品者として作品を送つている。昭和20年第1回日展からは出品委嘱者として、28年からは参事として出品をつづけていた。作品は一貫して格調の正しい、伝統的な竹芸の正調を保持していたところに特徴があつた。いわば伝統派の第一人者で、そのすぐれた技術は、我国の竹工芸の発展に多くの影響を及ぼしている。なお昭和33年新日展の発足とともに日展をはなれ、日本工芸会理事となつていた。
 主な作品に、「竹製筥」(昭和7年帝展)、「竹風炉先屏風」(昭和9年帝展)、「竹炭斗」(昭和17年文展)、「魚の舞・花籃」(昭和22年献上品)、「花籃・銘鳥光」(昭和28年)、「花籃・銘黄絨」(昭和30年日展)等。
作品略年譜
大正4年 大正天皇御即位式に際し、神服入目籃謹製
大正11年 平和博覧会に「厨子花籃」出品、銀賞
日本美術協会審査員となり同会解散まで在任
大正15年 パリ万国装飾美術工芸博覧会に「手筥」銅賞
昭和3年 御大礼に際し皇太后陛下に「掛花籃」謹製
昭和6年 第12回帝展「竹手筥」。この年から昭和18年まで東京府立工芸展覧会審査員となる
昭和7年 第13回帝展「竹手筥」特選
昭和8年 シカゴ万国博覧会に「花籃」出品
昭和9年 第15回帝展「竹風炉先屏風」特選
昭和11年 文展(招待展)「花籃」
昭和12年 第1回文展「釣花籃」、以後文展に招待出品をつづける作品は殆ど花籃。パリ万国博覧会にも花籃を出品する。
昭和14年 第3回文展「花籃」、審査員として出品
昭和16年 第4回文展「竹炭斗」招待出品
昭和22年 天皇陛下栃木市御巡幸に際し「魚の舞花籃」謹製
昭和24年 第5回日展「花籃・七宝あみ」依嘱出品
昭和28年 「花籃・銘鳥光」(岡田茂吉蔵)
昭和30年 第11回日展「花籃・銘黄絨」日展参事として出品
昭和32年 第13回日展「花籃魚籃」
昭和33年 日本工芸会に転属、理事となり同展に「花籃」出品
12月17日没

出 典:『日本美術年鑑』昭和34年版(157頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2016年08月09日 (更新履歴)
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