蓮田修吾郎

没年月日:2010/01/06
分野:, (工)

 日本芸術院会員で文化勲章を受章した金属造型作家の蓮田修吾郎は1月6日午後10時24分、敗血症のため神奈川県鎌倉市の湘南鎌倉総合病院で死去した。享年94。1915(大正4)年8月2日石川県金沢市野田町に父修一郎、母つぎの長男として生まれる(幼名「修次」)。1928(昭和3)年石川県立工業学校図案絵画科へ入学、卒業制作「藤下遊鹿」で御大典記念奨学資金賞を受賞。1933年東京美術学校工芸科鋳金部予科へ入学、翌34年同校の工芸科鋳金部へ入学。この年から母の命名により「修吾郎」と呼称する。36年同人と工芸新人社(翌年に工芸青年派と改称)を設立、作品を発表(~39年)。38年東京美術学校工芸科鋳金部を卒業するに際し優等証書及び銀時計(陸奥宗光伯爵奨学資金賞)を拝受。在学中高村豊周の指導を受け、実在工芸美術展に出品し入選を重ね、38年第3回展では卒業制作の鋳白銅浮彫「龍班スクリーン」で実在工芸賞を受賞。39年から45年まで軍役をつとめ、46年に復員して金沢に帰る。48年金沢市在住の同人とR工芸集団を設立し作品を発表(~49年)。49年第5回日展に鋳銅「水瓶」を出品(~2009年)、初出品初入選。同年上京して東京都板橋区に住む。51年第7回日展に鋳白銅「鷲トロフィー」を出品、特選、朝倉賞を受賞。52年同人と創作工芸協会を設立し作品を発表(~59年)。53年第9回日展に鋳銅浮彫「黒豹スクリーン」を出品、北斗賞を受賞。57年日ソ展招待出品に際し鋳銅「氷洋の幻想」がソ連政府買上となる。59年第2回日展(新日展)に黄銅浮彫「野牛とニンフ」を出品、文部大臣賞を受賞し金沢市に寄贈。同年東京芸術大学美術学部非常勤講師となる。60年同人と工芸「円心」を設立し作品を発表(~69年)。61年第4回日展に鋳銅浮彫「森の鳴動」を出品、日本芸術院賞を受賞。同年現代工芸美術家協会の設立に際し常務理事に就任、東京芸術大学美術学部助教授(鋳金研究室主任)となる。62年鋳銅浮彫「仁王の印象」(1955年第11回日展出品作)と青銅方壺「方容」が日本政府買上となり、前者は西ドイツ首相に、後者はメキシコ大統領に献上される。同年より開催の日本現代工芸美術展に出品(~2006年)。65年西ドイツのベルリン芸術祭使節として渡欧、中近東各国を視察。同年「修吾郎」の呼称が法的に認可され戸籍上の名前となる。66年紺綬褒章を受章。同年第1回個展を日本橋高島屋で開催。67年に鎌倉へ住居を移しアトリエを新築する。69年社団法人日展が改組、理事に就任。70年第2回個展を銀座石井三柳堂で開催。71年神奈川県工芸会の会長に就任。72年神奈川県と静岡県在住の工芸作家による現代工芸美術家協会神静会の設立に際し会長に就任。1973年第3回個展を日本橋高島屋で開催。74年日展(改組日展)の常務理事に就任。75年東京芸術大学美術学部教授、日本芸術院会員となる。76年現代工芸美術家協会の副会長に就任。同年4月に東京芸術大学美術学部教授を退任、12月に日本金属造型研究所(東京都銀座7丁目)を設立し理事長に就任。77年独日文化協会会長の招聘により訪独し、西独をはじめ欧州各地を視察する。78年美術雑誌『ビジョン』に欧州紀行を執筆(連載)。同年第1回日本金属造型作家展を開催、以後毎年西独の金属造型作家を招待して日独文化交流展とする。79年『黄銅への道』を出版。80年日本金属造型作家展ドイツ巡回展に同行(ハンブルグ美術工芸博物館をはじめ7都市)。81年現代工芸美術家協会の会長に就任、日本金属造型振興会が財団法人として国に認可され理事長に就任。同年『蓮田修吾郎・金属造型』を出版。この年の9月27日、79年から総理府と北方領土対策協議会の制作依頼を受けた根室ノサップ岬の北方領土返還祈念シンボル像「四島のかけ橋」が完成し、以降、山梨県清里の森モニュメント「森の旋律」(87年)、金沢駅西広場モニュメント「悠颺」(91年)をはじめとする野外のモニュメント等の公共性の高い作品を日本金属造型振興会を拠点に数多く手がける。82年ドイツ連邦共和国功労勲章一等功労十字章を受章。同年『公共の空間へ』を出版。86年東京芸術大学名誉教授となる。同年「今日の金属造型展-日本とドイツの作家たち-」を開催(石川県立美術館ほか3館巡回)。『環境造形への対話』を出版。87年文化功労者となり、1991(平成3)年文化勲章を受章する。92年石川県名誉県民、金沢市名誉市民となる。96年日展の顧問に就任。98年に現代工芸美術家協会の最高顧問に就任。03年鎌倉生涯学習センター市民ギャラリー「蓮田修吾郎の世界展」開催、07年鎌倉市名誉市民となり、09年鎌倉市鎌倉芸術館で「金属造型の世界 鎌倉市名誉市民 蓮田修吾郎展」が開催される。「用即美」という工芸理念を掲げ35年に設立された実在工芸美術会の展観に出品した戦前の活動を経て、戦後は日展を中心に出品しつつ、用を度外視した「純粋美」の探求と創造を主張する日本現代工芸美術協会をはじめ創作工芸協会や工芸「円心」等の新しい工芸団体の設立に関わり出品活動を展開した。戦後の作品は大別すると、「方壺」に代表される立体造型の追求と浮彫による壁面装飾的な心象風景シリーズの展開の二系列が際立つ。ここに彫刻的、絵画的な要素を消化した金属造型の在り方が模索され、構想され、やがて工芸と建築、公共空間との接点が加味されるに至り、後年の日本金属造型振興会を拠点とする金属による環境造型の制作活動が展開された。没後、作品と資料等が金沢市に寄贈され、2012年に金沢21世紀美術館市民ギャラリーで「蓮田修吾郎展」が開催されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成23年版(425-426頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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