米倉守

没年月日:2008/02/25
分野:, (評)

 美術評論家で、多摩美術大学教授、松本市美術館長であった米倉守は、下咽頭癌のため、東京都三鷹市の病院で死去した。享年70。1938(昭和13)年、三重県津市に生まれる。関西学院大学を経て、関西大学文学部を卒業。卒業後、朝日新聞社に入社、同社大阪本社学芸部、ついで東京本社学芸部で美術を担当した。その後、編集委員となった。1994(平成6)年に多摩美術大学教授となり、同大学造形表現学部長を務めた。また2002年に開館した長野県の松本市美術館の館長を歴任した。新聞記者時代から、展覧会等の批評記事を数多く執筆した米倉であるが、そこには一貫して「現場」(画廊での個展、創作のアトリエ等)に対するこだわりがあった。そして書かれた美術批評は、また一貫して「一般読者」に向けられていた。その点は、米倉の批評の姿勢であり、新聞社を退いた後に書かれた、つぎのような一節からも了解される。「私は画家に呼びかける文体をとったとしても、作家自身に直接向かって書いたことは一度としてない。どうとられようと対象は一般の人たちである。もし何らかの影響が作家側にあるとすれば、一般人、一般読者に投影して、そのはるか反映が作家の制作に影を落とすやもしれない場合に限るだろう。評論家と作家の間に大きな位置を占めている一般読者という存在こそすべてである。評論家の願望を描き、作家、作品を一般大衆に語る自由はあるからだ。(中略)美は壊れやすく滅びやすく、はかない。そして事実滅びてゆくけれど、それを語り描くことが評論だと思っている。」(「靴を隔てて痒きを掻く」、『美術随想 夢なら正夢―美の賑はひに誘ふ一〇〇章』、求龍堂、2006年)米倉は、美術を「現場」から見つめつづけ、「一般読者」に向かって「批評」として発信をつづけたジャーナリストであった。上記引用した著書以外の主要な著書は、下記のとおりである。

『中村彝 運命の図像』(日動出版部、1983年)
『個の創意―現代美術の現場から』(形象社、1983年)
『評伝有元利夫 早すぎた夕映』(講談社、1986年)
『ふたりであること 評伝カミーユ・クローデル』(講談社、1991年)
『美の棲家1 東洋編』(彩樹社、1991年)
『美の棲家2 西洋編』(彩樹社、1991年)
『流産した視覚 美の現在・現代の美術』(芸術新聞社、1997年)
『両洋の眼・21世紀の絵画』(瀧悌三共著、美術年鑑社、1999年)
『非時葉控 脇村義太郎 全人翁の美のものさし』(形文社、2002年)

出 典:『日本美術年鑑』平成21年版(427頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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