大津鎮雄

没年月日:2008/01/31
分野:, (洋)
読み:おおつしずお

 日展参与の洋画家大津鎮雄は1月31日午前1時30分、大動脈弁狭窄症のため東京都武蔵野市の病院で死去した。享年87。1920(大正9)年10月25日、東京市本郷区千駄木に生まれる。父が大阪商船に勤務し転勤が多かったため、幼少期は沖縄、神戸などに住み、1929(昭和4)年に吉祥寺に居を定める。この頃、父とともに東京府美術館で開催される美術団体展に赴き、洋画に興味を抱く。33年武蔵野町立第三尋常小学校を卒業し、日本美術学校(現、日本美術専門学校)初等科に入学、小島善太郎に師事して油彩画を描き始める。37年第1回一水会展に「遠望」で初入選。39年日本美術学校本科洋画科を卒業する。41年赤坂歩兵隊に入隊し、同年から43年まで一水会には従軍のため不出品。44、45年は戦争により一水会展が開催されなかった。46年3月中国から復員。同年より安井曽太郎に師事する。48年より東京日比谷のアニーパイル劇場で舞台美術のデザインを担当。49年第5回日展に「松と洋館」で初入選。以後、日展に出品を続ける。50年第12回一水会展に「夏の午後」「赤煉瓦」を出品し、一水会賞受賞。翌年、一水会会員となる。51年第7回日展に「寒木邸」を出品し日展岡田賞受賞。57年第19回一水会展に「欅」を出品し会員優賞受賞。61年から翌年まで約半年間渡欧し、以後、ヨーロッパ風景を主要なモティーフとするようになる。65年第8回社団法人日展に「裏庭」を出品して菊華賞受賞。68年日展会員および一水会委員となる。86年日展評議員となる。1991(平成3)年第23回日展に「山添いの家」を出品して文部大臣賞受賞。99年10月、「大津鎮雄油絵展 風景画の輝き―南仏の田園から」(武蔵野市文化会館アルテ展示室)が開催され、1950年代から近作までが展示される。2000年第15回小山敬三美術賞を受賞し、同年、これを記念して「小山敬三美術賞受賞記念大津鎮雄展」が日本橋高島屋で開催され、初期から近作まで約40点が展示される。01年日展参与となる。04年「画業70年記念大津鎮雄展―陽光まばゆい南フランスの自然を見つめて」(サトエ記念21世紀美術館)が開催され、没後の09年2月には同美術館で「大津鎮雄展―美しい風景を求めて・旅情を描いた画家の生涯」展が開催された。年譜は同展図録に詳しい。人物や静物を描くのに適性を持つと評した師安井曽太郎のことばに拘わらず、大津は初期から風景、しかも洋風の都市風景を好んで描き、61年のヨーロッパ旅行以後は、西欧風景を主要なモティーフとした。日展、一水会展に出品を続け、晩年は次第に西欧の地方都市を好んで描き、穏健な写実的画風を示した。

出 典:『日本美術年鑑』平成21年版(423-424頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「大津鎮雄」『日本美術年鑑』平成21年版(423-424頁)
例)「大津鎮雄 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28412.html(閲覧日 2024-04-27)
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