髙橋節郎

没年月日:2007/04/19
分野:, (工)

 現代漆工芸の第一人者である髙橋節郎は、4月19日午前9時5分肺炎のため死去した。享年92。1914(大正3)年9月14日、父太一・母梅見の三男として長野県穂高町に生まれる。1938(昭和13)年東京美術学校工芸科漆工部を卒業。本来は画家志望であったが「絵では食えない」という父の反対で工芸科を選択、在学中には漆の魅力に目覚め「何も絵具で描くだけが絵ではない。漆で絵を描こう」と思い至ったという。40年東京美術学校研究科を修了、同年の紀元二六〇〇年奉祝美術展で「ひなげしの図小屏風」が初入選、翌年の第4回新文展では「木瓜の図二曲屏風」が特選を受賞し注目を浴びる。戦後は日展を中心に活躍し、51年には第7回日展「星座」で特選・朝倉賞を受賞、55年には日本橋三越にて第1回個展を開催、60年には第3回新日展「蜃気楼」で文部大臣賞を受賞と、精力的な制作活動をみせる。髙橋は“美術工芸”ではなく“工芸美術”、つまり“美術”という視点に立ち“工芸”作品の可能性を広げるという考えを持っている。これは自身も参加し61年に結成した現代工芸美術家協会の理念でもある。同協会創立者の山崎覚太郎は美術学校時代の恩師でもある。その後、新日展や日本現代工芸美術展、五都展、和光展に出品するほか、64年には日本現代工芸美術巡回メキシコ展・アメリカ展、66年には日本現代工芸美術巡回ローマ展、翌年には日本現代工芸美術巡回ロンドン展・モントリオール展に参加、海外に活躍の場を広げていく。76年東京芸術大学美術学部教授に就任、教鞭を執りながら制作を続ける。80年には社団法人日本漆工協会副会長に就任、漆工功労者として表彰される。82年には定年により同校を退官、社団法人現代工芸美術家協会副会長に就任。84年には紺綬褒章、86年には勲三等瑞宝章、1990(平成2)年には文化功労者に顕彰される。95年、東京芸術大学名誉教授に就任すると豊田市美術館の設立に伴い、髙橋の作品を展示する髙橋節郎館が併設される。97年には文化勲章を受章。同年、第18回オリンピック冬季競技大会(長野)の公式記念メダルのデザインを制作、フランスのパリで「漆の黒・光のメッセージ―現代日本の漆芸―髙橋節郎」展を開催。99年には東京銀座・和光ホールで「髙橋節郎墨彩展―ヨーロッパ・安曇野・大和路を描く―」を開催、漆芸の枠を超えた活動をみせる。2003年6月18日には長野県穂高町に残る生家に安曇野髙橋節郎記念美術館が開館。翌年には卒寿を記念し、豊田市美術館併設髙橋節郎館と安曇野髙橋節郎記念美術館、大阪阪神百貨店で「卒寿記念髙橋節郎―漆絵から鎗金へ/一九三〇-六〇年代」を開催。

出 典:『日本美術年鑑』平成20年版(379-380頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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