中川政昭

没年月日:2005/07/18
分野:, (写)

 写真家の中川政昭は、7月18日脳出血のため、東京都江東区の自宅で死去した。享年61。1943(昭和18)年10月6日岡山県真庭郡久世町(現・真庭市)に生まれる。戦後、兵庫県芦屋市に転居し、甲南中学、同高等学校を経て、67年甲南大学文学部卒業。少年時代より映画や写真に関心を持ち、大学在学中の65年頃、写真を本格的に撮り始めた。大学卒業後、広告制作会社勤務を経てフリーランスの写真家となり、ファッション関連の広告写真などを手がけるかたわら、カメラ雑誌に作品を発表するようになった。74年、『アサヒカメラ』に掲載されたヌード作品「かもめ」が「フォトキナ1974」(ドイツ・ケルン)の招待作品となる。「周縁の街から」(新宿および大阪ニコンサロン)など81年に開催した3つの個展により、82年、第32回日本写真協会賞新人賞を受賞。以降、都市とヌードをモティーフとする作品を中心に、晩年に至るまで、国内外で個展を開催、またグループ展にも多く参加した。80年代にはポートフォリオ形式の写真集『刺青』(日本芸術出版社、1983年)、『頌(ほめうた)-海辺にて-』(日本芸術出版社、1985年)を刊行している。70年代末に大判ポラロイドを用いた制作を始め、ピンホールカメラと大判ポラロイドの組み合わせによる肖像写真「高僧」シリーズなど、独自の手法を試みた。またピンホールカメラの発展として、空気をレンズ兼フィルターとして使用する撮影システム「Air Filter System」を開発するなど、写真をめぐる原理的な思考と実践を深めた。80年代後半からは、破壊したガラスネガからプリントした作品や、フィルムに物理的な加工を施し、ガラス瓶に封入したり、光源や光ファイバー等と組み合わせたりした立体作品を制作、「光学画像」としての写真と人間の視覚の接点をさまざまなかたちでさぐる仕事を展開した。制作と並行し、80年代初めより、光学、電子工学などをも視野に入れた画像を巡る基礎的な研究を続け、画像技術についての著述、講演を多く行う。1989(平成元)年からは桑沢デザイン研究所の非常勤講師として「画像文化論」を講じた。97年には光学、電子関連の専門家、評論家らと「画像文化研究会」を結成、主宰した。またインターネットにも早くから関心を示し、桑沢デザイン研究所でのインターネットを介した遠隔授業などにもとりくんだ。

出 典:『日本美術年鑑』平成18年版(388-389頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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