穴澤一夫

没年月日:2003/05/13
分野:, (学)

 美術史家で、東北芸術工科大学名誉教授の穴澤一夫は、5月13日、呼吸不全のため東京都杉並区の自宅で死去した。享年77。1926(大正15)年3月12日、東京の麻布に生まれる。1947(昭和22)年、横浜工業専門学校(現、横浜国立大学)建築学科卒業。48年東京大学文学部美術史学科聴講生を経て、50年東北大学文学部美学・美術史学科に入学、村田潔教授のもとでギリシア美術を学び、53年同大学(旧制)を卒業した。56年同大学文学部大学院修了後は、同年9月より国立近代美術館(現、東京国立近代美術館)事業課に勤務、59年5月、開館を目前に控えた国立西洋美術館に移り、68年5月より事業課長、また76年4月には東京国立近代美術館次長となり、82年7月まで同職を勤めた。同年8月筑波大学芸術学系教授に就任し、1989(平成元)年3月に退官後は東北芸術工科大学の開校準備に参画し、92年4月より同大学芸術学部長および芸術学部芸術学科教授に就任、98年3月退任後の4月には同大学名誉教授となった。この間、日本大学芸術学部(1956-73年)などで美術史を教えたほか、61年8月から翌年11月までフランス政府招待技術留学生としてパリ国立近代美術館に研修勤務し、ブランクーシのアトリエの復元設置に携わるかたわら、エコール・デュ・ルーヴルの聴講を修了、また63年7月フランス共和国文芸騎士勲章(Chevalier de l’Ordre des Arts et des Lettres)、81年11月博物館法三十周年記念式典文部大臣賞等を受けた。穴澤の美術展との関わりは、1954(昭和29)年、ルーヴル美術館所蔵品を中心とする戦後初めての大規模な「フランス美術展」(東京国立博物館)に際して、富永惣一の推薦でカタログ編集その他を手伝ったことに始まるが、その後、草創期の国立近代美術館、次いで国立西洋美術館に勤務してからは、西洋美術を中心に多岐にわたる数多くの展覧会を手懸けた。国立西洋美術館在職中は、「ミロのビーナス特別公開」(1964年)、2点の「マハ」像(着衣・脱衣)を含む「ゴヤ展」(1971年)、「モナ・リザ展」(会場:東京国立博物館、1974年)等の国家プロジェクトに参画し、また東京国立近代美術館次長在任中に担当した展覧会のカタログに寄稿した論文、「素朴な画家たち」(「素朴な画家たち」展、1977年)、「ロベール・ドローネーの芸術と芸術論」(「ドローネー展――ロベールとソニア」、1979年)、「マチス」(「マチス展」、1981年)、「ムンクの人と芸術」(「ムンク展」、1981年)、「象徴主義の理解のために」(「ベルギー象徴派展」、1982年)等は、中学時代からギリシアの詩文に親しみ、美術のみならず文学・音楽などすべての芸術をこよなく愛し、哲学への関心や造詣も深かった穴澤の学風をよく伝えている。その他、主な著作(単独著作)や論文として以下がある。『ギリシャ美術』(保育社、1964年)、『ミケランジェロ、ドナテルロ(世界の美術5)』(河出書房新社、1966年)、『ロダン、ブールデル、マイヨール(現代世界美術全集12)』(河出書房新社、1966年)、『ルノワール、ボナール(世界の名画:洋画100選6)』(三一書房、1966年)、『ドーミエ、ミレー、クールベ(世界の名画:洋画100選3)』(三一書房、1967年)、『ボナール(世界の名画13)』(世界文化社、1968年)、『ボナール、マティス、デュフィ(ほるぷ世界の名画6)(ほるぷ出版、1970年)、『ル・コルビュジエ(ART LIBRARY 30)』(鶴書房、1972年)、『ミケランジェロ(ファブリ世界彫刻集2)』(平凡社、1973年)、『ギリシア彫刻(世界彫刻美術全集4)』(小学館、1974年)、『セザンヌ(世界美術全集19)』(小学館、1979年)、「ポリュクレイトス研究」(『美学』15号、1954年)、「1953年発見のブルゴーニュ「VIXの遺宝」について」(『美術史』20号、1956年)、「現代イギリス彫刻とヘップワース」(「バーバラ・ヘップワース展」カタログ、彫刻の森美術館、1970年)、「ブランクーシの世界」(「ブランクーシ」展カタログ、ギャルリー・ところ、1977年)、「マイヨールの彫刻」(「マイヨール展」カタログ、山梨県立美術館ほか、1984年)、「大野さんの芸術と『聖なる対話』」(「大野俶嵩展」カタログ、O美術館、1989年)、「マイヨールと地中海」(「マイヨール展」カタログ、北海道立函館美術館ほか、1994年)。

出 典:『日本美術年鑑』平成16年版(299頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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