間部学

没年月日:1997/09/23
分野:, (洋)

 ブラジル、サンパウロ在住の画家間部学は9月23日午前1時(現地時間2日午後1時)、ひ臓ガン手術後の合併症により、サンパウロの病院で死去した。享年73。大正13(1924)年9月14日、熊本県宇土郡不知火村高良に生まれる。生家は旅館ののち理髪店を営んでいた。昭和6(1931)年、不知火尋常小学校に入学。翌年当尾尋常小学校に転校し、同校在学中クレヨン画に熱中する。同9年豊川尋常小学校に転校するが、同年8月18日、一家でブラジルサンパウロ州に入植する。日系人が共同で営む私立学校でポルトガル語、日本語の勉強を続け、コーヒー園での父の仕事の手伝いなどをして少年時代を送る。同15年サンパウロ州リンスに移転し、コーヒー園の仕事に従事する。同20年、油絵具を購入し、石油で絵具を解き、独学で油彩画を描き始める。同年中、写真屋を開業していた熊谷悌助に月1回の指導を受ける。同23年父の死去を契機にコーヒー園主として独立。一方で絵画の制作を続ける。同26年国立美術展(リオデジャネイロ国立美術館)に初入選し、以後同展に毎年出品。同28年第2回サンパウロ・ビエンナーレに出品し、同展で展示された抽象画に刺激を受ける。また、同年日系画家による聖美会の行うコロニア展の第2回展に出品し、コロニア賞受賞。この年から、作風が構成主義的抽象へと移行する。翌年第4回サンパウロ近代美術展で小銀賞、翌30年の第5回同展では大銀賞、同31年の第6回同展では再度小銀賞を受賞。同32年第7回同展で大銀賞を受賞し、同年国立美術展(ブラジル・サロン・デ・ナシオナル・ベラス・アルテス)無鑑査となる。同33年第8回サンパウロ近代美術展で州知事賞受賞。同34年ブラジルにおける美術の年間総合最優秀賞であるレイネル賞の第1回目の受賞者に選ばれ、日系画家として注目されるようになる。同年第5回サンパウロ・ビエンナーレ展で国内大賞受賞を受賞。アンドレ・マルローに注目され、第1回パリ青年ビエンナーレ展のブラジル代表として推薦するようにとの要請を受けて、同展に出品し、最高賞(ブラウン賞)を受賞する。同35年、ブラジル代表としての作品発表が多くなったため、ブラジルに帰化する。同年第30回ヴェネツィア・ビエンナーレにブラジル代表として出品し、フィアット賞受賞。同40年代には作風にアンフォルメル的傾向があらわれ、即興的な制作を思わせる点などに東洋的との評もよせられた。同50年サンパウロ美術館で回顧展が開催され、同53年には熊本県立美術館を皮切りに、神奈川県立近代美術館、国立国際美術館を巡回する「マナブ・間部展-ブラジルの巨星=その熱い★(手へんに矛)」が開催されて、初期から近作までの100点が展示された。初期には遠近法などを踏まえた再現描写が試みられたが、1950年代に入ると、具象表現でありながら、自然の形態や色彩から離れ、単純な幾何学的色面に対象を分解したのち再構成する作風へと展開し、1960年代には抽象的作風へと移行した。数を限って明快な色彩を用い、大胆な構図で「生命」「望郷」「雄飛」などの抽象概念を表現した。ニューヨークやパリなどでも個展を開き、国際的に活躍する一方、日本とブラジルの文化的架け橋としても尽くした。平成8(1996)年には郷里熊本で回顧展を開催している。

出 典:『日本美術年鑑』平成10年版(401頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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