望月信成

没年月日:1990/05/28
分野:, (学)

 元大阪市立美術館長・元大阪市立大学教授の望月信成は5月28日午後2時34分、肝不全のため大阪市天王寺区の大阪警察病院で死去した。享年90。明治32(1899)年6月14日、京都市に生まれる。父は、仏教大辞典の著者である知恩院管長も勤めた信享である。大正15年3月に東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業し、同年4月京都帝国大学大学院に進んだ(昭和4年卒業)。そして同年の9月に恩賜京都博物館鑑査員として永きにわたる公務のスタートを切る。その後、昭和6年4月より文部省帝国美術院付属美術研究所嘱託を勤め、昭和11年に大阪市美術館主事に転じた。以後、昭和24年9月同美術館長・昭和25年大阪市立大学教授に任ぜられるのをはじめ、様々な役職をこなし大阪の文化の発展に尽くした。その役職には、昭和21年大阪府史跡名勝天然記念物調査協力委員、同年大阪財務局書画骨董調査協力会委員、昭和23年大阪府社会教育委員会委員、昭和24年大阪市理事、昭和25年大阪ユネスコ協会理事、昭和29年大阪府文化財専門委員、昭和40年大阪緑化委員、同年大阪屋外広告物審議会委員などがある。大阪市立美術館時代の美術館行政については、後に自伝として『一筋の細い道』(昭和59年・前田清文堂)で語っている。
 昭和39年に大阪市立美術館長・大阪市立大学教授退職の後は、昭和43年より同54年まで帝塚山学院大学教授、昭和43年より同60年まで財団法人美術院理事長と、美術教育及び文化財保護事業に継続して尽くした。この他後進の教育には、高野山大学、甲南女子大学に於て係わった。また、理事・評議員として関与した美術館には、藤田美術館、白鶴美術館、逸翁美術館があり、昭和41年には兵庫県美術館建設委員会委員となっている。
 僧籍にあった関係上、昭和9年知恩院什宝係主任、昭和10年知恩院保存会委員、昭和28年浄土宗美術部講師、昭和31年浄土宗本派審議会委員を勤め、昭和39年浄土宗大僧正となっている。
 以上の業績に対して、昭和33年日本博物館協会総裁より永年博物館事業尽力表彰、昭和39年大阪府社会教育功労者表彰、同年大阪府大阪市文化賞、昭和45年勲四等旭日章を受けている。
 昭和40年第19回毎日出版文化賞を受賞した『仏像-心とかたち-』(共著、日本放送出版協会 昭和40年)をはじめとして仏教美術を中心としたその著作は多い。
主要著書
絵巻物鑑賞 宝雲社 昭和15
支那絵画史 白揚社 昭和16
日本上代彫刻 創元社 昭和18
仏像仏画の話 大東出版社 昭和24
美の観音 創元社 昭和35
広隆寺 山本湖州写真工芸部 昭和38
大阪府文化財図説(彫刻扁) 大阪府教育委員会 昭和38
続仏像-心とかたち- 日本放送出版協会 昭和40
わびの芸術 創元社 昭和42
日本の水墨画 河原書店 昭和42
日本仏教美術史 教育新潮社 昭和43
常識としての仏像知識 浄土宗務庁 昭和50
仏像をみる 学生社 昭和61
神・仏と日本人 学生社 昭和62
地蔵菩薩 学生社 平成1
阿弥陀如来 学生社 平成3

出 典:『日本美術年鑑』平成3年版(297頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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