薮野正雄

没年月日:1990/09/10
分野:, (洋)

二紀会参与の洋画家薮野正雄は9月10日午後6時、急性心不全のため、名古屋市の自宅で死去した。享年83。明治40(1907)年7月17日、福岡県門司市に生まれる。福岡県立小倉中学を経て日本美術学校に入学し、大正15(1926)年同校を修了する。昭和4(1929)年第16回二科展に「公園風景」で初入選し、以後正宗得三郎に師事する。連年二科的に出品し、同14年第26回同展に「海辺にて」「砂上」を出品して特待となり、同16年同会会友となる。また、同15年紀元2600年奉祝展に「二人」で入選、同18年第6回新文展に「草笛」を出品して特選となるなど、官展にも出品したほか、同17年新美術家協会会員に推挙された。戦後は二科会再論に際し会員に推されるが同会には参加せず、同22年第二紀会の創立に加わり、第1回展から審査員をつとめる。同45、46年に渡欧。同48年二紀会常任理事に就任。同51年第30回二紀展に「るうさ像」「赤いバック」を出品し三十周年記念大賞を受賞、同60年同39回展に「黒いセーター」「茶玉のネックレス」を出品して黒田賞を受賞した。また、同年日動サロンで「薮野正雄自選展」が開かれ、昭和10年代の旧作から近作までを回顧する展観がなされた。戦前は風景画を多く描いたが、戦後は裸婦、着衣の婦人像を描き、大胆なタッチ、独特の色感のある豊麗な色彩で知られた。

二科展出品歴
第16回(昭和4年)「公園風景」、17回「屋上風景」「展望」、18回「樹間風景」、19回「山上より」「タダちゃん像」、20回「大曽根風景」、21回「長崎風景」、22回(同10年)「春の丘」、23回「伊豆風景」、24回「丘にて」、25回「川原にて」「うちわ」、26回「海辺にて」「砂上」、27回(同15年)「信州にて」、28回「海女」「海辺」、29回「海の人々」「金剛力士」、30回「浜の朝」、
二紀展出品歴
第1回(昭和22年)「雪の日」「帰路」、2回「つどい」「三人」、3回「めざめ」「マネー讃頌」、4回(同25年)「浴後」「水浴」、5回「かぢつ」「こかげ」、6回「裸婦」4点、7回「椅子による」「室内」「ダリア」「黒衣」、8回「裸婦立像」「裸婦」、9回(同30年)「裸婦臥像」「裸婦立像」「裸婦座像」、10回「臥婦」「椅子」、11回「裏道」「観光地」「魚市場」、12回「天主堂横」「聖堂」「つぼ造り」、13回「ある家族」「礼拝への道」「赤い塀」、14回(同35年)「二人」「長崎の塀」「二十二番館」、15回「修道士」「修道女」、17回「風の塔」「天井画を見る人々」、18回「祭の日」「水くみ」、19回(同40年)「二十二番館の主」「その孫」、20回「錦田の人々」「マカオ」、21回「閉ざされた家」「路傍」、22回「広場の一隅」「並木」、23回「マカオの宣教師」「女子修道院」、24回(同45年)「木馬の休日」「鳩」、25回「祭りの日」「神の丘」、26回「神の丘に」「ムルシアの夫人」、27回「P嬢像」「踊りのあと」、28回「憩い」「むすぶ」、29回(同50年)「したく」「外出」、30回「るうさ像」「赤いバック」、31回「厨房にて」「朱い花」、32回「微風」「手鏡」、33回「くしげずる」「庭先」、34回(同55年)「花咲く頃」「かける」、35回「微風」「椅子」、36回「黄色い珠」「コンパクト」、37回「或る少女」「微風」、38回「ばらのコーサージ」「黄色いセーター」、39回(同60年)「黒いセーター」「茶玉のネックレス」、40回「花模様のブラウス」「青い服」、41回「赤いセーター」「印度綿の服」、42回「K嬢」「グリーンのセーター」、43回「じゅり」「J嬢」、44回(平成元年)「あじさい」(遺作)

出 典:『日本美術年鑑』平成3年版(312頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「薮野正雄」『日本美術年鑑』平成3年版(312頁)
例)「薮野正雄 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10400.html(閲覧日 2024-04-26)

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