廣本進

没年月日:1991/10/15
分野:, (日)

 新興美術院副理事長の日本画家廣本進は、10月15日午後3時55分、心不全のため京都市左京区の市田病院で死去した。享年94。明治30(1897)年8月11日愛知県蒲郡市に生まれ、本名同じ。山元春挙門の川村曼舟の内弟子となり、その関係から大正7年春挙の画塾早苗会に入塾。師曼舟は、春挙没後、早苗会を主宰した人物である。その後、京都市立絵画専門学校に学び、昭和7年同校研究科を卒業。この間、在学中の昭和3年第9回帝展で「赤目の溪谷」が初入選で特選を受賞、注目を集める。翌4年パリで行なわれた巴里日本美術展に選抜されて「溪谷」を出品し、6年の伯林(ベルリン)日本画展覧会に「春溪」(デュッセルドルフに巡回)、同年のトレド日本美術展に「霽雪白帝城」、同年タイ・バンコクで行なわれた暹羅日本美術展に「三河湾」を出品。11年文展鑑査展には「香落峡」を出品している。戦後、38年新興美術院(25年再興)の京都支部設立に伴い、理事として同院に参加。以後同院に出品し、50年第25回展「有声」が文部大臣奨励賞、平成3年第41回「寝覚の床」等の四季連作が内閣総理大臣賞を受賞。平成2年から同院理事長をつとめた。この間、昭和55年比叡山延暦寺東塔院の大壁画「安楽行品」2面、58年大津市坂本町の日吉大社全景、59年大津市寿長生郷の各岩壁35体観音像線描、63年大津市坂本の瑞応院襖絵(比叡山全景)を揮毫。風景画と仏画を得意とした。61年には京都市芸術文化協会賞を受賞している。

出 典:『日本美術年鑑』平成4年版(305頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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