松本栄一

没年月日:1984/07/02
分野:, (学)

文学博士、元東京芸術大学教授、元女子美術大学教授、東京国立文化財研究所名誉研究員で、東洋美術史研究、特に敦煌絵画の研究者として世界的に著名な松本栄一は、7月2日午後9時、心不全のため東京都杉並区の自宅で死去した。享年84。明治33(1900)年3月10日、台北市に生まれ、大正3(1914)年3月、広島県立第一中等学校を卒業。同年9月、第一高等学校に入学。同9年7月、同校第一部仏法科を卒業後、東京帝国大学文学部美学美術史学科に進み、同12年3月に卒業。翌13年9月から昭和3(1928)年3月までは東京帝国大学文学部副手となり、副手を退職後、同5月から翌4年6月まで、研究のためヨーロッパに渡り、ロンドン、パリ、ベルリン、レニングラードなどの美術館、図書館において、スタイン、ペリオ、ル・コックほか西欧の研究者が将来した中央アジアや敦煌の資料を調査した。帰国後の同年7月に美術研究所研究事務嘱託に、更に同年10月には東京帝室博物館建築設計調査委員会事務嘱託に転じた。翌5年4月からは東方文化学院東京研究所(外務省)の研究員となり、古代中央アジア美術の研究を進めた。その研究成果の一部は、同12年3月、『敦煌画の研究』として東方文化学院東京研究所から刊行された。同3月から講師を勤めていた東京帝国大学から、この著書によって同14年4月に文学博士の学位を受けた。同16年4月からは同大学文学部助教授となり、翌5月には、同書に対して日本学士院恩賜賞が授与された。同20年6月、同大学を退職。戦後は、同24年8月から美術研究所所長に就任し、同27年4月に美術研究所が東京文化財研究所と組織替えをしてからは同年10月まで美術部長を勤めた。その後、同31年に東京大学で、同33年には女子美術大学において講義を行なったが、翌34年4月からは、東京芸術大学美術学部教授となった。同42年3月に同大学を停年退官して後、翌4月からは再び女子美術大学教授に迎えられ、同59年3月まで東洋美術史を講じた。
 研究領域は、東洋美術史の中でも仏教を中心にした宗教美術に重点が置かれているが、専門領域との関連のある日本美術に対しても広げられている。数多くの研究論文が発表されたが、著書は『敦煌画の研究・図像篇』(昭和12年)のみであった。緻密な研究によって培かわれた豊かな学殖は、作品解説、書評、随筆などの記述に横溢しているが、ここでは、これらの中から定期刊行物所載の研究論文のみを発表順に列記する。
引路菩薩について(国華387、大正11年)
敦煌千仏洞に於ける北魏式壁画 上・下(国華400、402、大正13年)
于闐国王李聖天と莫高窟(国華410、大正14年)
東京帝室博物館の扇面法華経(国華419、大正14年)
敦煌出騎馬人物図に就いて(国華425、大正15年)
法華経美術1~3(国華427、428、433、大正15年)
水月観音図考(国華429、大正15年)
東洋古美術に現はれたる日月星辰1~4(国華436、437、440、450、昭和2年、同3年)
十二因縁絵巻に就いて(国華438、昭和2年)
法隆寺金堂四天王と七星剱(国華441、昭和2年)
乾隆帝とその画(国華445、昭和2年)
宇佐八幡と豊州の石仏(国華446、昭和3年)
荏柄天神縁起絵巻に就いて(国華448、昭和3年)
西域仏画様式の完成と極東1~3(国華465、466、469、昭和4年)
村山家聖徳太子図に就いて(国華467、昭和4年)
東洋古美術に現はれた風神雷神(国華468、昭和4年)
兜跋毘沙門天像の起源(国華471、昭和5年)
三條家の駒競行幸絵巻に就いて(国華476、昭和5年)
小泉家の阿弥陀如来及二天王像(国華478、昭和5年)
特殊なる敦煌-童子護符-(国華482、昭和6年)
特殊なる敦煌画-絵入り護符-(国華488、昭和6年)
金剛峯寺枕本尊説(国華489、昭和6年)
特殊なる敦煌画-景教人物図 上・下-(国華493、496、昭和6年)
和闐地方の仏画に見る特殊性とその流伝(東方学報・東京2、昭和6年)
唐代童画の一例(考古学雑誌22-5、昭和7年)
法隆寺金堂壁画と西域の壁画(夢殿論誌6、昭和7年)
観経変相外縁の研究 上・下(国華502、503、昭和7年)
被帽地蔵菩薩の分布(東方学報・東京3、昭和7年)
和闐壁画の一断片に就いて(国華507、昭和8年)
敦煌出開元年代画に就いて(国華511、昭和8年)
地蔵十王図と引路菩薩(国華515、昭和8年)
敦煌地方に流行せし牢度叉闘聖変相(仏教美術19、昭和8年)
未生怨因縁図相と観経変(東方学報・東京4、昭和8年)
薬師浄土変相の研究 上・中・下(国華523、524、526、昭和9年)
雀離浮図雙身仏に因む摹倣像の伝播 上・下(国華531、532、昭和10年)
誌公変相考(国華537、昭和10年)
隨求尊位曼荼羅考(国華539、昭和10年)
敦煌本唐訳白傘蓋陀羅尼経(東方学報・東京6、昭和10年)
陽炎、摩利支天の実例(国華547、昭和11年)
西域華厳経美術の東漸 上・中・下(国華548、549、551、昭和11年)
唐代浄土変相の西漸(国華555、昭和12年)
庫車壁画に於ける阿闍世王故事(国華566、昭和13年)
景教「尊経」の形式に就いて(東方学報・東京8、昭和13年)
敦煌出唐代花鳥幡(考古学雑誌28-1、昭和13年)
呉道子と著色(国華582、昭和14年)
支那浄土変相の発生(支那仏教史学3-3・4合併号、昭和14年)
玄奘三蔵行脚図考 上・下(国華590、591、昭和15年)
正倉院山水図の研究1~8(国華596、597、598、602、604、605、606、608、昭和15年、同16年)
達長老私考(東方学報・東京11-1、昭和15年)
壁画に於ける盛上げ描法(東方学報・東京11-3、昭和15年)
牢度叉闘聖変相の一断片(建築史2-5、昭和15年)
称名寺宝篋印陀羅尼輪壇(考古学雑誌31-4、昭和16年)
Wall-Paintings of Horyuji Temple(Bulletin of Eastern Art 13・14合併号、1941年)
印度山嶽表現法の東漸(国華618、昭和17年)
仏影窟考(国華620、昭和17年)
敦煌本十王経図巻雑考(国華621、昭和17年)
西大寺四王堂の諸尊(国華632、昭和18年)
西域式仏像仏画と東方の工人(国華638、昭和19年)
法隆寺壁画の山中羅漢図(国華640、昭和19年)
絵因果経私考 上・下(国華648、649、昭和19年)
「かた」による造像(美術研究156、昭和25年)
高麗時代の五百羅漢図(美術研究175、昭和29年)
敦煌壁画釈迦説法図断片(美術研究181、昭和30年)
敦煌本白沢精怪図巻(国華770、昭和31年)
五代同光二年石仏(国華773、昭和31年)
敦煌本瑞応図巻(美術研究184、昭和31年)
敦煌画拾遺1・2(仏教芸術28、29、昭和31年)
東京国立博物館蔵菩薩立像(国華800、昭和33年)
Caractere concordant de l’Evolution de la Peinture de Fleures et d’Oiseaux et du Development de la Peinture Monochrome sur les T’ang et les Sung(Art Asiatique 5,1958年)
初期小金銅仏の新資料(大和文華37、昭和37年)
なお、以上の論文一覧には、国華419~476号の中の数号について、「松本二千里」あるいは「二千里」の執筆者を用いている論文も加えてある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和60年版(251-252頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「松本栄一」『日本美術年鑑』昭和60年版(251-252頁)
例)「松本栄一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10219.html(閲覧日 2024-04-27)

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