藤岡通夫

没年月日:1988/11/19
分野:, (学)

 日本近世建築史の調査研究および復元、保存に尽力した建築家、建築史学者の藤岡通夫は、11月19日午後7時40分、胃がんのため東京都港区の虎の門病院で死去した。享年80。明治41(1908)年7月31日、東京都文京区に生まれる。父は美術史家の藤岡作太郎。昭和7(1932)年東京工業大学建築学科を卒業して同科助手、14年同助教授となる。戦中、東南アジアを訪れて建築を調査し、18年に『アンコール・ワット』(彰国社)『アンコール遺跡』(三省堂)を刊行。24年、東京工業大学に「天守閣建築の研究」を提出して博士号を受ける。戦後は、26年東京工業大学教授となり教鞭をとる一方、文化財保護委員となり、城郭、遺構研究の蓄積をもとに和歌山城(33年)、小田原城(35年)、熊本城(35年、56年)ほかの外観復元を行なうなど建造文化財の保護に尽力する。研究分野では、京都御所の調査を中心に近世の内裏建築、近世住宅史研究に取り組み、『京都御所』(彰国社、31年、新訂版、中央公論美術出版、62年)、『角屋』(彰国社、30年)、『三溪園』(三溪園事務所、33年)、『桂離宮』(美術文化シリーズ、中央公論美術出版、40年)などを刊行する。東京工業大学を停年退官して同校名誉教授となるとともに日本工業大学建築学科で教鞭をとり、のち同学学長をつとめた。この時期には、ネパール王宮建築を主要な研究対象とした。自ら設計も行ない、昭和33年以降建造文化財の復元、保存に主にたずさわる以前は、東京都内を中心に寺院建築の設計を手がけている。東京都文京区本郷真浄寺本堂は、平屋根、椅子式の合理的寺院建築の先駆的な例として注目される。(詳細な業績・著作目録は1989年9月刊『建築史学』13号に掲載されている。)

出 典:『日本美術年鑑』平成元年版(276-277頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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