小野勝年

没年月日:1988/12/20
分野:, (学)

 文学博士、元奈良国立博物館学芸課長、元竜谷大学教授の小野勝年は12月20日午後9時45分、急性心不全のため奈良市高畑本薬師寺町626の自宅で死去した。享年83。明治38(1905)年12月1日、長野県上伊那郡辰野町大字小野に生れる。県立松本中学校、松本高等学校を経て、昭和2年に京都帝国大学文学部史学科に入学、この後病気の為2年間休学し昭和8年論文「両税制度の一考察」を提出し卒業。同年京都帝国大学大学院に入学、研究テーマを支那中世文化に据え、同年より昭和18年5月まで同大学文学部副手を務めた。この間昭和12年10月より、同15年3月まで、外務省在支特別研究員として中国に留学し、華中・華北・東北・蒙古等の史蹟の調査を行い、中国美術・考古の研究を進め、その後も昭和20年6月の現地召集まで華北交通株式会社嘱託や華北綜合調査研究所員として中国史蹟の調査・研究を継続した。
 戦後は一時、郷里長野県の日野青年学校教官、日野中等学校教諭を務め、昭和23年8月から昭和42年3月の退官に至るまで奈良国立博物館で過した。奈良国立博物館においては昭和27年8月に学芸課工芸室長兼資料室長となり、昭和36年4月に学芸課考古室長、昭和39年9月より学芸課長を任ぜられ、考古室長事務取扱を兼務した。この奈良博時代には、研究の関心が中国と日本の接点にまで拡げられ、円仁を中心とする入唐僧の研究を中心に成果が発表された。この間、昭和18年に村田治郎(『日本美術年鑑昭和61年版』参照)を隊長として行なわれた北京郊外の居庸関雲台保存調査の結果である『居庸関』(京都大学工学部)の「第5章雲台浮彫細部の意匠」を担当し、『居庸関』に対して昭和34年5月に学士院賞を受け、昭和37年3月には京都大学より『円仁入唐求法の研究』によって文学博士の学位が授与された。そして奈良博時代の締め括りとして、昭和41年に中心となって担当した「大陸伝来仏教美術展」は大きな反響を呼んだ。
 奈良博退官後、昭和42年4月から昭和55年3月に至るまでは龍谷大学及び大学院で東洋史学、博物館学とその実習の指導に当った。後進の教育には、奈良博時代より力を尽し、奈良女子大学・京都大学・京都大学大学院・関西大学・関西大学大学院・京都女子大学・大阪大学・大阪学芸大学・奈良教育大学・愛知学院大学・追手門学院大学・大阪女子大学など多くの大学・大学院で東洋文化史・博物館学を講じた。また、昭和36年から奈良県文化財保護審議会委員などを務め、文化財保護行政にも貢献した。これらの業績に対して、昭和51年11月には勲四等旭日小授章を授与され、没後の平成元年1月には正五位に叙せられた。
 研究業績は多く、先に述べた分野の他、書道史・芸能史・工芸史・考古学にまで及んでいる。以下、主要な著書・編書をあげておく。
○『北支那に於ける古蹟・古物の概況』(共著) 興亜宗教協会刊 昭和16年3月
○『五台山』(共著) 座右宝刊行会刊 17年10月
○『蒙疆陽高縣漢墓調査略報-蒙疆陽高縣古城堡漢墓調査略報〈予報〉-』(共著) 大和書院刊 18年11月
○『金城堡-山西臨汾金城堡史前遺蹟-』 北京華北綜合調査研究所刊 20年6月
○『蒙疆考古記』(共著) 学芸社星野書店刊 21年11月
○『法隆寺の壁畫とその模写事業』 国立博物館奈良分館刊 24年9月
○『下高井-下高井地方の考古学的調査-』 長野県教育委員会刊 28年12月
○『高句麗の壁畫』(『中国の名画』) 平凡社刊 32年6月
○『世界美術全集』第15巻中国4隋・唐 角川書店刊 36年11月
○『入唐求法巡札行記の研究』第1巻~第4巻 鈴木学術財団刊 39年~44年
○『請来美術』 奈良国立博物館刊 42年11月
○『石像美術』(『日本の美術』第45号) 至文堂刊 45年2月
○『慶州と奈良』 奈良市刊 45年4月
○『阿倍仲麻呂とその時代-日中友好の先覚者-』 奈良市刊 53年10月
○『龍門二十品』(『書迹名品集成』第4巻) 同朋舎刊 56年7月
○『褚遂良・雁塔聖教序』(『書迹名品集成』第7巻) 同朋舎刊 56年7月
○『入唐求法行歴の研究-智證大師円珍篇-』上・下巻 法蔵館刊 57年
○『中国隋唐長安寺院史料集成』 平成元年2月
尚、詳細な業績等に関しては、喜寿を機に編まれた『小野勝年博士頌寿記念東方学論集』を参考にされたい。

出 典:『日本美術年鑑』平成元年版(279頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2016年11月11日 (更新履歴)
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