竹中英太郎

没年月日:1988/04/08
分野:, (挿絵)

 昭和初期、江戸川乱歩らの小説挿絵を描き挿絵界の寵児となった挿絵画家竹中英太郎は、4月8日午前11時54分、虚血性心不全のため東京都新宿区の東京医科大病院で死去した。享年81。明治39(1906)年、12月18日、福岡県博多に生まれる。6人の兄姉を持つ末子。2歳で父と死別し困窮のうちに幼年期を送る。のち熊本県菊地郡大津に住む義兄のもとに母子ともにひきとられ、熊本北警察署の給仕となり、熊本中学の夜学に通う。林房雄ら第五高等学校社研のメンバー、徳永直らと交遊を始め、共産主義にひかれるようになり、熊本水平社の創立に参加、無産者同盟を結成して活動に熱中する。そのため警察署を解雇され、のち、検挙されて熊本を去り北九州で坑夫となる。生活難から雑誌『苦楽』に挿絵見本を持ちこみ、大正13(1924)年同誌に大下宇陀児作「盲地獄」の挿絵を発表。陰湿で妖しい独自の画風で注目され、昭和3(1928)年8月『新青年』に江戸川乱歩が発表した「陰獣」の挿絵を手がけて流行作家となる。『新青年』誌を中心に江戸川乱歩、横溝正史らの作品の挿絵を発表。夢野久作、佐々木白羊、下村千秋、三上於莵吉らの挿絵も担当したが、思想的疑問から昭和10年『平凡社名作挿絵全集』に『大江春泥画集』を制作したのを最後に筆を折り、大陸へ渡る。同14年秋、ハルピンで憲兵隊に逮捕され強制送還されて帰国するが挿絵界には復帰せず、15年東京都品川区に町工場を開く。16年第二次世界大戦に伴う企業整備のため工場を閉じることとなり、翌17年山梨日々新聞社記者となって勤労動員署を担当。戦後も同社に奉職し山梨日々新聞論説委員長、山梨県地方労働委員会会長をつとめた。正式な絵画教育は受けておらず、画歴については不明な点が多い。デフォルメされた人体を特色とし、不具、畸型を好んで描き、退廃的で魅惑的な雰囲気を持つ画風を示した。江戸川乱歩との主な作品に昭和3年『新青年』「陰獣」、同4年『朝日』「孤島の鬼」、『新青年』「押絵と旅する男」「悪夢(芋虫)」、同5年『新青年』「江川蘭子」、同6年博文館刊『江川蘭子』装幀・口絵、『探偵趣味』「地獄風景」、『朝日』「盲獣」があり、横溝正史との仕事には、昭和5年『新青年』「芙蓉屋敷の秘密」、同10年同誌「鬼火」、甲賀三郎との仕事には昭和3年『新青年』「瑠璃玉」「緑色の犯罪」、同5年平凡社刊『幽霊犯人』装幀、同6年『週間朝日』「悪魔の勝利」などがある。

出 典:『日本美術年鑑』平成元年版(260頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2016年11月11日 (更新履歴)
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