川端弥之助

没年月日:1981/12/09
分野:, (洋)

春陽会会員、元京都市立美術大学教授の洋画家川端弥之助は、12月9日肺炎のため京都市左京区の自宅で死去した。享年88。1893(明治26)年12月5日京都市に生まれ、京都府立第一中学校を経て1918(大正7)年慶応義塾大学法律科を卒業する。20年第7回二科展に「桃」が初入選、22年渡仏しパリでアカデミー・コラロッシに入学、シャルル・ゲランに師事し、24年サロン・ドートンヌに入選する。翌25年帰国し同年の第3回春陽会展に「エフエル塔」等滞欧作3点を出品、以後同展に出品を続け32年第10回展に「御陵道」等3点を出品し春陽会賞を受賞、35年春陽会会友となり、37年同会員に推挙される。また、40年の紀元二千六百年奉祝美術展に「琉球ヤンバル船」を出品する。49年京都市立美術専門学校教授に就任、翌年新制大学令により京都市立美術大学となり助教授、56年教授となり、63年定年退官するまで後進の指導にあたった。71年嵯峨美術短期大学教授に就任、79年まで在職する。この間、72年に第1回京都府美術工芸功労賞を、翌73年京都市文化功労賞をそれぞれ受賞した。春陽会展への出品作に、「陽春」(13回)「店頭」(15回)「天主堂」(29回)「疎水」(35回)「坂道」(40回)「白い家」(43回)「木曾御岳」(46回)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和57年版(288頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「川端弥之助」『日本美術年鑑』昭和57年版(288頁)
例)「川端弥之助 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10145.html(閲覧日 2024-04-19)

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